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2013.05.15

第30回「異なるものが違和感なくいられるような地域社会をめざして ~コミュニティガーデン『みんな畑』の試み(野の暮らし)」

たまたま生まれた子がしょうがい児だったというただそれだけのことを、受け止められない自分がいたし、受け止めてくれない社会があった

 すがいさんが居場所づくりの活動を始めたそもそものきっかけは、お子さんの誕生だったという。
 「一番上の子が知的しょうがいを持って生まれたんです。今は成人して働いていますが、しょうがいがある子どもが生まれたことは大きな転機になりました。子どもが生まれるってどういうことなんだろうとか、しょうがいがあることで命に何かしらの差があるのか、しょうがいを持つことは社会的に恥ずかしいことなのかとか、そういうことをいっぱい考えさせてもらいました」
 どんなに重いしょうがいがあっても、意思も感情もある。しょうがいを持っているというだけで、地域の中で暮らしていくことが当たり前にならないのはなぜなのか。しょうがいのある人がいたって別にいいんじゃないか、そんなふうに思うようになっていったという。
 小・中学校は普通学級に通わせていたものの、中学生になって荒れるようになったという。クラスの子に殴られたり蹴られたりして帰ってくるようになり、本人にとってもストレスが多くなっていった。でも、先生に相談しても“生徒たちに確認しましたが、誰もいじめている子はいないと言っています”と真剣に向き合ってもらえなかった。学校に通わない状況になって、子どもの居場所づくりの活動を始めるようになっていった。
 子どもが成長するにしたがって、居場所だけでは事足りなくなる。しょうがいを持った子どもたちのための働く場づくりをはじめることになったのも自然な流れだった。
 「子どもが18歳くらいになったとき、居場所づくりだけでなくて、“働く場”を作ろうと思うようになったのです。当時、うちの子は立川にあった放課後の余暇活動をしているところに通っていたのですが、そこの仲間たち4人が中心となって話し合いを重ねて、商店街の空き店舗を使ってカレー屋さんを作るという話を進めていました。作業所といわれる場所が、閉じられた場所ではなく、地域の中の開かれた場所にあった方がよい、だからこそ、商店街の中の空き店舗でやりたいと思いました。立川市の同意を得て、東京都もほぼ設立に同意をしてくれて、補助金も出ることになって、あとは働く人を集めればよいというところまできた、まさにそのときになって、いっしょに進めてきた3人が二の足を踏んだのです。そして、計画が頓挫することになりました」
 すごくショックだったし、大きな心の傷として残ることになったとすがいさんは言葉を詰まらせる。

本当にやりたいことなら、自分で決めて、はじめなければ、動き始めない

 『みんな畑』でも『畑の家』でも、その活動は、本人の自由な意思で選べるようにしているという。畑仕事をしたければすればよいし、何もせずにのんびり過ごしてもよい。何かしたくなったらすればよい。
 「黙って、何もしなくてもいい場所って、なかなか世間は用意してくれないですよね。やっぱり、“何かしなさい”って言うじゃないですか。居場所にいれば何かが解決するとは全然思いませんが、でも安心して悩んでいられる場所は必要だと思うんです。したくなったらすればいい。そうでなければ何もしなくてもよい。ただ、いろんな人には会っておいた方がいいと思うんです。いろんなことを体験することはしておくとよい。だから、必ず社会とつながっておくことが大事だと思うんです」
 『みんな畑』で、畑を開墾したり、生け垣を作ったり、東屋を建てたり、ヒツジ小屋をつくったり…。時に文句を言いながら、作業に没頭する子どもたちのことを、ここに関わる多くの人たちが気にしてくれていたという。作業中に声をかけてくれたり、差し入れを持ってきてくれたりする。路地に面した畑で作業をしていることで、自然とそんなコミュニケーションが生まれていった。

荒れていた畑を片づけていたとき、自然とコミュニケーションが生まれていった。

荒れていた畑を片づけていたとき、自然とコミュニケーションが生まれていった。

荒れていた畑を片づけていたとき、自然とコミュニケーションが生まれていった。

 居場所づくりの活動をしたいと公言するようになって、でも共感してもらえるよりも笑われることの方が多かったと、すがいさんは自嘲気味に話す。
 「たとえ共感してもらえなくても、自分の中ではっきりしていることは、“決める”ということ。“自分で決め”て、はじめること。それは、いっぱい失敗してきたから、いっぱい傷ついてきたからこそ思うようになったことでした。作業所が本当に目の前で、もう立ち上がるという段階でダメになったことが今でも残っています。描いていた夢が実現するという目の前だったのに。いっしょにやっていた3人に対して、ず~っと恨み言をいっていたんですよね」
 長年付き合ってきた友達が愚痴を聞いてくれていたが、その友達に言われたひとことがずしりと心に響いたという。
 「その友達には、“そんなに言うんだったら、一人でやれ!”って言われたんですよ。“それだけ恨み言が言えるということは、すがいは本気だったんだろうけども、だったら一人でやればいいじゃない。でも一人でやるっていうことは、たった一人でやるわけじゃなくて、すがいが一人でやるって決めたら、必ずいっしょにやってくれる人が出てくるから、やるかやらないか決めなよ!”、そう言われたんです」
 それと同時に、そのときに一人でやるって言えなかったことも指摘されて、だったら他の3人に対して恨み言をいう資格なんてないんじゃないかとも言われたという。そんなふうに言われたことはすごくしんどかった反面、一人でもやると決めろと言われたその言葉が深く浸み込んでいった。
 単純に夢物語で言っているだけならいいけれど、本当にやりたいのかどうかは他人ではなく、自分自身に問いかけられてくる。だから、どんな些細なことでも──それは本当にどんな些細なことでもいいから──やろうと思ったら、やると決めればいいというわけだ。
 「最初、別に『みんな畑』を作ろうって決めていたわけではないんです。でも居場所がほしいと思っていて、“そうだ、畑を居場所にすればいいんだ”と思ったときに、“畑を借りよう!”ということは誰でもなく、自分が決めることなんですよ。どうなるかわからないけど、でも“畑を貸してください”と言いに行く、本当に居場所活動をしたいと思っているんだったら。そんな感じですね。別にものすごく大層な決意をしているわけでもないんですよ。それほど気負ってやっているわけではありませんから」

青い穂が実った『みんな畑』の麦畑。右は収穫の様子。

青い穂が実った『みんな畑』の麦畑。右は収穫の様子。

青い穂が実った『みんな畑』の麦畑。右は収穫の様子。

居場所をつくって閉じ籠るのではなく、社会の中の一員として、より多くの人たちとともに問題解決の道を探る

 そうしてやると決めて、まずは行動していったことで、『みんな畑』を借りられることになった。やろうと決意した活動に、協力してくれる仲間たちも自然と集まってきていた。『みんな畑』の活動がきっかけになって、『畑の家』も貸してもらえるようになった。
 「たぶん、社会と切り結びながらやってきたからこそだと思うのです。自分たちだけの世界に閉じた活動で、自己満足のような関係性つくっているだけでは、世の中は変わっていかないじゃないですか。それこそしょうがい者など“弱い”といわれている立場の人たちが、当たり前に暮らしていける社会なんてつくれっこないですよね」

 最近、すがいさんが居場所づくりの活動と並行して力を入れているのは、国立市の『農業・農地を活かしたまちづくり事業』推進協議会協議委員としての活動だ。
 国立市産業振興課が担当する同事業の推進協議会は、市民に委嘱して設立したもので、市民農園を運営している人や農家さん、消費者団体の人などが参画している。市に対する提言を議論・作成するだけでなく、それを実現するための責任ある役割を果たしていこうと、具体的な活動にも取り組んでいる。
 すがいさんは、区画整理の問題に関わるようになって以来の課題として、“農地を持たない市民がどうやって農地保全に関わるか”ということに関心を持ち続けてきたという。もとは違う問題意識とアプローチだったものの、『みんな畑』も市民による農地保全の一つの実践事例になっていると言える。
 協議会では、例えば国立市内で市民が参加できる各地の市民農園を紹介し、それらの交流と情報交換を促進するための会を作ったり、高齢で耕作できなくなって閉鎖されることになった梨園を借りて会員制の農園『くにたち はたけんぼ』を開園したりと、少しずつ具体的な成果も生まれてきている。この『くにたち はたけんぼ』は、ハケ(崖線)のまち・国立に新しくできたモデル農園で、敷地内に畑と田んぼがあることから名付けた。個人ではなく、企業・NPO・市民サークルなどの団体に貸し出す区画があったり、農園の運営を学ぶ『農園マスター』の育成をしたり、四季折々の“畑の幸”をみんなで収穫して採れたて野菜を楽しむ農園祭を開催したりという計画だ。
 農地や農業を守っていくのに、農家だけの苦労では限界があるから、農地・農業を守るための制度やアイデアをより幅広い立場で提案し、実現のために汗をかいていこうという意欲的な取り組みだ。

『くにたち はたけんぼ』の“はたけんぼ”とは、畑+田んぼ+ハケ(崖線)からとった名前

『くにたち はたけんぼ』の“はたけんぼ”とは、畑+田んぼ+ハケ(崖線)からとった名前

『くにたち はたけんぼ』の“はたけんぼ”とは、畑+田んぼ+ハケ(崖線)からとった名前。敷地内に畑と田んぼがあり、農家と市民と国立市の恊働でつくった市民参加型の新しい農園だ。今年(2013年)3月30日に開園し、お披露目の農園祭を開催した。※クリックで拡大表示します

『野の暮らし』主宰のすがいまゆみさん『野の暮らし』主宰のすがいまゆみさん

 地域の中にある課題を、その当事者だけで解決しようとあがくのではなく、地域の中のいろんな人たちが自分たちの問題として認識し、関わっていけるように働きかけていく。それは、居場所づくりの活動でも、『農業・農地を活かしたまちづくり』でも変わらない、すがいさんの基本的なスタンスだ。

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本事業は、公益財団法人 東京都区市町村振興協会からの助成で実施しております。