トップページ > みどり東京レター > 島の自然・文化を学び、島の暮らしを見直す ――八丈町「第84回八丈島民大学講座」
みどり東京レターは、都内62市区町村が実施するイベントをわかりやすく紹介することを目的に、月に1回程度更新しています。ぜひご一読ください。
2023.09.22
八丈島民大学講座のTOPページ。1980年に開校してから数えて第84回になった今回は「土の力と海の技」というテーマで、2日間に渡り開講されました。
八丈島民大学講座は、島に暮らすだれもが気軽に参加できる生涯学習の場として開講され、
島民以外にもオンラインで公開しているよ!
八丈島民大学講座は、1980年8月「ともに学ぶ、地域に開かれた生涯学習の場」として開講して以来、年に2回の開催によって今回で第84回を迎えました。生涯学習の場として教養を高めるとともに、生活に潤いをもたらすことを目的に実施されています。
年2回開催しているうちの1回は東京都立大学との共催として企画され、今回は「土の力と海の技」というテーマで2日間にわたって2人の先生が登壇しました。コロナ期間中に大学の講義のオンライン化が進んだのをきっかけに、島民大学講座もオンラインで公開することになったそうです。
講座は各日1時間半の合計3時間、専門的な内容が詰め込まれた密度濃い時間となり、本記事ですべての内容を紹介することは到底叶いませんが、断片的にいくつか興味深く拝聴したポイントについて、講座のスライドとともに紹介したいと思います。興味を持たれた方は、ぜひ次回以降の島民大学講座を受講してみてください。
初日の講義は、都市環境学部地理環境学科の川東正幸教授による「かけがえのない土壌がもつ生命を養う力」で、土壌の性質から分布状況、人々の暮らしとのかかわりなど、“土壌がもつ絶妙な仕組み”についてのお話をいただきました。
開催挨拶に立つ八丈島民大学講座運営委員会代表の茂手木清さん(手前)と、1日目の講師を務めた東京都立大学都市環境学部地理環境学科の川東正幸先生(奥)。
八丈島商工会研修室からの生中継としてZOOMミーティングを通じて配信された。
土を見るとき、一般の人たちは表面の土をさらって見るが、土壌学では地層を垂直方向に切取った断面を見る。この断面図を「土壌プロファイル」という。
①~⑤の土壌プロファイルのうち、どれが「いい土」か?(右スライド参照)と会場に問うと、いかにも肥沃そうに見える黒い土が含まれた4番と5番に人気が集まった。
※画像の上にマウスを載せると、生産性の高い土の順位が表示されます。
土の物理性を表すのに、三相(固相・液相・気相)の比率として表現されることがある。
土を触ってみると湿っている。表面が乾いている土でも少し掘れば湿ってくる。これは、土が表面張力によって水を保持しているからだが、その保持能力は土の種類によって異なる。
左のスライドは、さまざまな土壌の三相比率を示すもの。
例えば、Aの火山灰土壌(黒ぼく土)は、固相が20%に対して液相が40-60%ほどになる。つまり、20gの土の中に40-60gもの水が保持されていることになる。
土壌の研究には、物理的性質や化学的性質だけでなく、地理学的な分布も重要な課題の一つになる。
世界の土壌の分布をみると、緯度に沿って横縞状に同じ種類の土壌が分布していることが古くから知られてきた。土壌の成帯性(せいたいせい)と呼ばれるこうした分布は、気温分布や大気の循環など気候条件と、植物分布に大きく影響を受けている。
右のスライドは、世界の純一次生産量を示す図で、緑色が濃くなるほど生産量が高くなっている。
カナダやロシアなどの寒い地域でも意外と生産量が高いことがわかる。年間の降水量と蒸発散量の関係によって森林の発達など植物が育成状況が左右されることになる。
こうした状況は、次のスライドで示す「穀物の生産地の分布」とは大きく異なる。
世界の穀物生産地の分布は、純一次生産の分布と異なり、極地など条件の厳しい環境で少なく、比較的温暖な地域で色濃くなっている。
自然植生の一次生産が高く、作物の一次生産も高いところは、世界の大穀倉地帯として、現在でも世界の食糧生産・食糧輸出を担う重要地域になっている。
なお、ブラジルのアマゾン熱帯林など、自然植生の生産量が高いにもかかわらず穀物生産があまりされていない土地もある。これは熱帯林として残されているためだが、近年は切り拓かれて耕作地化されてきいる。ただし、土の性質としてはあまり肥沃ではない。降水量が多いため、土壌は酸性化し、養分を保持する力は低く、投入した肥料は雨とともに海へと流出し、海洋の富栄養化を招くことになる。これが赤潮の発生原因で、日本では1970年代が赤潮のピークだった。
土の効用の一事例として紹介されたスライド。
写真は、現在、八丈島名産「黄八丈」の染色の定着に活用されている、かつての水田跡。
岸辺近くなどに赤っぽい土が見えるが、地下水として流れてきた還元状態の鉄分が水表面に出てきて急激に酸素を取り込むことで、赤く色づいたもの。土の細かい粒子が黄八丈の色の定着という、作物生産以外の面でも、大きな効果を発揮していることを示した場面。
2日目の講義では、考古学・生活技術史を専門とする山田昌久名誉教授が登壇し、「縄文時代に八丈島へ渡った人々の知恵と技術」というテーマで、本州島から海を隔てた八丈島で発掘された縄文遺跡や、島に渡ってきた縄文人の暮らしや目的、また八丈島まで200kmもの海路を原始的な丸木舟で漕ぎ渡ってきた縄文の知恵と技術などについて紹介いただきました。
原始時代の知恵や技術というとどこか現代の先端技術と比べて見劣りする稚拙なものと思われるかもしれませんが、意外にも深遠なものであったことが伺えるもので、その延長線上に現在の私たち暮らしや技術ができあがっていることを示唆する興味深い内容となりました。何より、石斧を主体とした当時の道具で復元する丸木舟の製作工程に携わる人たちの楽しげな様子はとても魅力的なものでした。
2日目の講師を務めた、東京都立大学の山田昌久名誉教授。60年ぶりに島を訪れたという。
縄文時代とは、今から1万6千年前~3千年前の時代区分をさすが、縄文土器には必ずしも同じ模様がついているわけではなく、8~7000年前からは地域色のある土器がつくられるようになって、縄文人が自分たちのグループの模様を持つようになったと言われている。
この日の講義では、本州島から200kmも離れた八丈島に移り住んでいた縄文人が、丸木舟を漕いで黒潮を越えた、苦難とロマンについて語った。
原始的な縄文時代の道具(石斧)を使った、木の伐採の実証実験。胸高直径97cm、樹高32.2mという大木を、3日間、24,000打撃で伐採完了。
作業する人は疲れるものの、石斧は大木に負けないことを見事に実証した。
石斧による木の伐採では、硬い石の刃を打ち付けることで切り口を作っていくというよりも、削った面を連ねていくことで切り口を広げていくのだという。
遺跡から発掘された遺物をもとに、正確な形に成形するのがポイント。
遺物は、当時の暮らしの中でうまく機能していた合理的な理屈に則って作られたものなので、遺物になぞらえて正確に作ることで、荒海をも越える安定した舟になる。
八丈島の倉輪遺跡では、関東や近畿、東北、北陸など本州島各地の縄文土器が発見されている。
7000年前あるいは5000年前の当時、日本という統一国家があったわけではなく、各地に土地を代々相続するグループが出現し、独特な模様の土器を作っていたことがわかっている。そうした土器が八丈島の遺跡から見つかっているということは、そうした本州島各地から八丈島に渡ってきていたことをさし示す。
右のスライドは神津島産黒曜石の産地を示す。
日本各地の縄文遺跡から、神津島産の黒曜石が多数見つかっており、こうした事実は、とうきょうの島で採れる様々な物資を求めて島に渡ってきていることを物語っている。
台湾での航行実験。黒潮を越えて漕ぎ出していった様子。
湖や東京湾内で航行練習を積み重ねた後、外洋航行を決行し、見事に成功した。
縄文時代にも潮の流れの変動があって、島に渡れるかどうかは、黒潮の流れと大きく関係していたといえる。
丸木舟で黒潮を越えることができることは実証実験で検証できたが、それに加えて、縄文人たちは、潮の流れの変動を日々見ながら、漕ぎ出すタイミングを見極めていたという。
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