【第88回】マウンテンバイクを通して自分たちがかかわる地域を大事に残し、未来につなげたい(西多摩マウンテンバイク友の会)
2017.10.19
あきる野市、瑞穂町、武蔵村山市を中心とする西多摩地域でボランティア活動を展開する「西多摩マウンテンバイク友の会」がある。どんな団体で、どんな活動をしているのか。初秋の日曜日、ボランティアの現場をたずねて、活動にこめられた思いを聞かせていただいた。
会員の森林ボランティアの学びの場となっている自然公園を見る
JR青梅線の福生駅で「西多摩マウンテンバイク友の会」会長の中沢清さんと待ち合わせ、最初に、あきる野市草花地区にある東京都立羽村草花丘陵自然公園に案内していただいた。この自然公園は多摩川に沿って帯状に連なる標高200~300メートルの丘陵にあり、丘陵上の尾根道から関東平野を見渡せる。
中沢さんのお話では、「友の会」が関わるようになる前は、丘陵の斜面はうっそうとした林で、切りたおされた木が放置されたままになっていたという。倒木を片付けて下草を刈り、そだ柵【1】をつくったり散策路をつけたりして、少しずつきれいに整備してきたのだ。
中沢さんたちが手を入れた場所は、見通しがよく光がさし、こざっぱりとした気持ちのいい林になっていた。そだ柵は土止めの役だけでなく、ネズミや虫など小動物のかくれ場所になり、それを捕る鳥なども集まる。多様な生態系を育むゆりかごのような存在である。
「ここは、管理者の東京都環境局の多摩環境事務所と協定を結んで使わせていただいています。マウンテンバイクで走るわけではなく、会員さんが道具の使い方や山での立ち居振る舞いを学ぶ場です」と中沢さんは話された。

毎月1回、会員はここで作業をしながら山の仕事を覚え、次のステップに進む。確かに、山の仕事は危険を伴うし、なにより慣れが必要だ。友の会では活動を安全に行うために希望者を募って、重機などの使い方を教えるコマツ教習所で刈り払い機やチェーンソーの講習を受けているという。ボランティアとはいいながら本格的だ。
中沢さんは、「友の会の活動の一つに木こり講座があります。木こり講座では、あきる野市の森林レンジャーあきる野の隊長さんの指導を受けながら、チェーンソーで森を間伐して里山の再生活動をしています。切った木はシイタケ栽培に使ったりテーブルをつくったりして二次利用、三次利用もやっているのです」と説明してくださった。
あきる野市菅生地区での里山の再生活動の現場を見る
次に案内していただいたのは、あきる野市菅生地区。ここでは地域の住民とともに尾根道の整備、市内や神社の清掃、祭礼での神輿担ぎ、菅生奉納歌舞伎の手伝いから雪かきまで、さまざまな活動を行っている。
中沢さんは「ここの町内の山の上に尾根道があって、そこをマウンテンバイクが走っています。しかし、ただ走っているだけでなく、継続的にこの場所で楽しめるようにということで町内のお手伝いをしようということからボランティア活動がはじまりました」という。
この日案内されたのは、菅生地区大沢にある小高い山林で、里山再生活動の舞台になっている。車でやや急な斜面を上りきると、山の中腹にでた。そこはちょっとした公園ほどの平地になっていてマウンテンバイクの体験コースが設けられ、大人と子ども10人ほどが、草刈りなどの作業をしていた。


「ここは、あきる野市が工場誘致の目的で土地を整備したときにでた土を積みあげた山です。二十数年間手をつけずにいたところを、植生調査などをしてから、里山の再生事業を行っています」と中沢さんはいう。
あきる野市では未来にむけた事業として「郷土の恵みの森構想」を掲げ、地区ごとに景観整備や森の整備活動などを行っている。菅生地区では産学官の取り組みとして「あきる野菅生森づくり協議会」を発足させ、大沢の森で里山の再生をしようとしている。

里山は、古くから人家や集落の近くにあった低い山林で、木材の生産、薪とりや炭焼き、山菜やきのこ採りなどさまざまに利用されてきた。しかし、第二次世界大戦後、エネルギーとしての薪炭の利用が減るとともに林業の不振が続き、いつしか手入れもされずに放置され、荒れるに任されてきた。
近年、景観の保全や多様な生物を育む場としての里山の価値が見直され、再生が叫ばれている。しかし、里山があっても過疎化や高齢化になやまされ、再生のための人手もままならないところが多い。里山再生への道のりは非常に険しい。こういった地域では、友の会のようなボランティアは貴重な戦力だ。


菅生地区ではボランティア活動をとおして地域の住民との交流が深まり、「みなさんが楽しめる場所をつくったら」という住民の声に後押されて、マウンテンバイクの体験コースがつくられた。マウンテンバイクのマナー向上の取組も行われていて、この日も午後から町内の子どもたちが自転車の試乗にくるという。




ボランティア活動のはじまりは、マウンテンバイクで走る場所がなくなるという危機感だった
マウンテンバイクというのは、1980年代に登場した自転車の形の一つで、山道や荒地を走行するための強度と操作性を備えたものである。オリンピック種目になっているクロスカントリー【2】やワールドカップ世界戦が開催されるダウンヒル【3】などいくつかの種目が競技として行われている。
友の会のメンバーが好むのはおもにトレールライドといって、丘陵や山道をマウンテンバイクで走り、自然との一体感を楽しむものである。カナダやニュージーランドなど、海外ではレジャーとして定着し、マウンテンバイクが走行できるトレールや専用のコースが整備されているところもある。
残念ながら日本では、一部の愛好家がマナーを守らず危険な走行をしたり地権者の許可なく道を変えたりして問題になり、バイクや自転車を閉め出す動きにつながっている。
「ぼくらがボランティア活動をはじめて7、8年になりますが、それまでは自分たちで勝手にやっていた歴史があります。勝手に橋を架けたり水の通り道をつけたり。歩きやすくなるし、よかれと思ってやっていたんです。でも、それはやってはだめだった。どうしてそれに気づいたかというと、せっかくきれいにしたのに、ある日突然、立ち入り禁止になってしまうのです」と中沢さんは自身の体験を話してくださった。


こうした体験から、マウンテンバイクで走れる場所がなくなってしまうという危機感を抱くようになった中沢さんは、日ごろから親しんでいた狭山丘陵にある都立野山北・六道山公園の管理所におもむき、「マウンテンバイクに何か問題はありせんか? もし問題があれば、解決にむけてなにか協力させてください」と相談したのだという。
それまではクレームが入っても、行政も土地の管理者も相談する相手が見えていなかったことが問題だった。自身が窓口になることで、地権者や行政の考えをマウンテンバイク利用者に伝え、また、自分たちがやっていきたいことを地域の人に伝えようと考えたのだ。
野山北・六道山公園でボランティア活動をはじめた中沢さんは、その後マウンテンバイク愛好家を組織して「西多摩マウンテンバイク友の会」を立ち上げ、本格的にボランティア活動を行うことにした。そこには、マウンテンバイクを通して自分たちが関わる地域を大事に残し、未来につなげたいという思いがあった。
現在、友の会の会員は約270名(2016年総会当時)、昨年のボランティア活動は80回、延べ1000人以上が参加している。
こうして、ボランティア活動を通して、マウンテンバイカーとして地域の中で顔の見える存在になった友の会は、いまでは菅生地区の里山再生のほか、「郷土の恵みの森構想」の一環としての深沢地区の景観整備、瑞穂町の「みずほきらめき回廊」計画での平地林の整備、羽村草花丘陵自然公園の整備、野山北・六道山公園での外来植物駆除や自転車マナーアップキャンペーン、各種イベントなど活動の輪を広げている。


さらに、友の会の活動を参考に、奥武蔵、町田、箕面、福岡、鳥取、上越などでも会ができて、地域や山主さんの了解を得てコースを整備し、人をよぶ活動が始まっている。「海外のこういうフィールドって、例えば、カナダなどではすごくわかりやすくなっているんですね。山の入り口にはマップがあって、『ここはマウンテンバイクでも入れます』、『ここはマウンテンバイクの専用コースです』、『ここは皆でシェアしてください』などコースの利用設定が表示されています。コースの中でも、『ここはむずかしいコースだから気をつけて』などと注意事項があって、明確です。なおかつ、『○月○日に道のごみ拾いをします』、『道のメンテナンスの日は○月○日です』などと作業予定のスケジュールも書いてあるんですよ。これらの活動を地元のショップやメーカーがサポートしているのです。そんな環境を日本でも実現したいですね」 地域の人たちの理解が進み、いつかカナダなどのように専用のトレールとコースを整備して人を呼べるようになればいい、人が来て地域がにぎわうようになればいいと、中沢さんは次の構想をあたためているようだった。
山のマナーとルールを守ることは絶対の条件である。そのうえでマウンテンバイクをレジャーとして楽しめたらいい。地元の人と関係をつくりながら、マウンテンバイカーが走ることで、山に関心を寄せる人が増えるのはいいことだ。いままではだれもが無関心だった。それが日本の山をこれほど荒らしてしまった原因の一つだろう。友の会の活動が、里山の価値を認めて整備を推し進める方向につながるよう応援したい。
