【第87回】昔ながらの米づくりを体験して、「苦労を楽しむ」を学ぶ(府中市郷土の森博物館のこめっこクラブ)
2017.09.05
今年(2017年)4月に開館30周年を迎えた府中市郷土の森博物館では、昔ながらの農具を使って、米づくりを体験する「こめっこクラブ」の活動が行われている。1987年の開館時から始まり、今年で29回目となる(2011年は東日本大震災のため休止)。
雨模様の空の下、田んぼで草取りをする子どもたちとサポート役の大人たちの様子を紹介しながら、この活動にこめられた博物館の思いを伝える。
田んぼの土用干しの意味を知る ──土用が、作業時期の目安になっていた
府中市郷土の森博物館は、JRの分倍河原駅からバスで6分ほど行った府中市南町にある。敷地は約14ヘクタールで、南を多摩川に接し、本館のほか旧府中尋常高等小学校など10の復元建物が並ぶ。道路をはさんで東は郷土の森公園で、体育館やプールなどの施設がある。
こめっこクラブの会員である「こめっこ」たちの米づくり体験は、敷地内に設けられた田んぼが舞台だ。取材は7月下旬の日曜日、この日の仕事は草取りである。
集合場所は敷地の西のはしの「ふるさと体験館」。午前10時前、こめっこたちが三々五々集まってきた。ほとんど小学校1年~5年生くらいの親子連れである。
田んぼに入る前に、博物館学芸員の佐藤智敬さんの説明を聞く。この日は、中国の古い哲学である陰陽五行説「木火土金水(もくかどこんすい)」から発達した「十干(じゅっかん)」「十二支(じゅうにし)」の組み合わせ(「干支」)で表現する暦と、農作業の「土用干し」の関係について、
「土用の丑の日にうなぎを食べるといいっていうよね。このときの土用は夏と秋のあいだの土用で、今年は7月20日~8月6日まで、ちょうど今です。そして今は田植えから1か月とちょっと経った頃で、この時期に一度田んぼの水を抜きます。これを土用干しといいます。水を抜いて乾かすことで、土のなかの根っこを強くし、台風や風に強いイネに育ちます」などの説明がされた。
佐藤さんのお話では、田植えから1か月とちょっと経った頃から、イネは「分けつ」といって枝分かれが盛んになる。そのころに水田を乾かすと、根が水を求めて強く張るのだ。しかも地中にあった肥料成分によりイネの生育が良くなるそうだ。
稲作では一般にこの過程を「中干し」という。秋の実りを決める重要な作業である。それを昔の農家の人たちは、季節の変わり目となる土用を目安に行っていたのだ。昔の暦が今でも生きている、干支が今でも生活と密接に結びついているのはこんなところにも理由があったのだ。

その後、今日取りのぞく草を紹介。今はウキクサが繁茂しているという。ウキクサが水面をおおうと、太陽の光をさえぎり、水温が上がらず、イネの生育が悪くなってしまう。コナギという雑草は、スプーンみたいな葉っぱをしている。この後1~2週間もすると青い花が咲いて、タネができて来年また増えてしまう。ヒエはイネとの識別は難しい。背が低く、田植えしたところから外れていればヒエかもしれないので、見分けられれば取ってほしいという。
最後に佐藤さんは、
「残念なことに、前回の草取りのあとで肌がかゆくなってしまった人がいます。皮膚の弱い人、怖い人は無理に入る必要はないですから、まわりの畦に生えている草を取ってもらえれば充分。皆が植えたイネがどのくらい育っているかみてください」と話した。
水田にいる小さな貝が「水田皮膚炎」の原因になる寄生虫を媒介する。水田皮膚炎は適切に治療すれば1、2週間で完治できるが、リスクがあることを知ったうえで作業をしてもらうわけだ。


親子で田んぼの草取り体験 ─虫やカエルに夢中のこめっこたちと、草取りに集中する大人たち─
座学のあとは、リヤカーに道具を積んで田んぼへ。田んぼは2枚あり、約500平方メートル。1枚はもち米で、もう1枚はうるち米、合わせて約100キログラムの米が取れるという。
田んぼの水面は、淡緑色のウキクサでおおいつくされていた。
こめっことサポーター役の大人たちが、網で水面のウキクサをすくい始める。やがて、こめっこもサポーターも、どんどん水田に入り始めた。コナギやヒエを取るのはおもに大人で、こめっこたちはウキクサをすくっている。


そのうちに、あっちこっちでカエルやオタマジャクシを追いかけ始めた。トカゲやカマキリを捕まえた子もいる。
「虫が嫌いな子もいます。7、8年前、田んぼで草取りをしているときに虫が出てきたと言って泣いちゃった子がいました。田んぼに入る体験を通じて、虫のことを好きになってくれたらうれしいですね」と佐藤さん。自然の生きものとふれあえるのも、こめっこクラブのよいところである。
実家は富山でナシ農家だという、小学2年生の女の子のお父さんにお話をうかがった。
「田舎に帰れば田んぼに入るのは当たり前ですけど、東京では機会がないですよね。子どもはおもしろがっています。田植えや稲刈りだけ体験させてくれるところはたくさんあるけれど、ここは田んぼをつくるところからやっているのがいいですね。見るだけじゃなくって、いろいろわかっておもしろいんじゃないかなと思います」



一年の最後には皆でお餅を食べて楽しいですと、汗いっぱいの顔に笑みが浮かんだ。
東京育ちだという別の若いお父さんは、自然と触れることができるのが楽しいと話してくださった。どうやら、こめっこたちのサポートより、自分たちが田んぼに入るのを楽しんでいるようでもある。
5年生の男の子のお母さんは「子どもは楽しんでいやっていると思います。嫌がらずに来ますから。学校でバケツ稲をやっていますが、ここだと様子がよくわかるのがいいですね」と話してくださった。ご自身も夢中になってやっているという。
1時間ほどかけて、2枚の田んぼの草取りを終えるころには雨が降り始め、この日の作業は終わり。このあと水を抜いて1週間から10日間水田を干し、ふたたび水を入れて生育をうながすそうだ。





サポーター制度を取り入れて参加者が増えた
佐藤さんのお話では、4年ほど前までは、参加者は4年生以上の小学生と中学生に限っていたという。小学校も高学年になるといろいろと忙しくなるためか、徐々に参加者が減り始めた。ちょうどそのころ大人もやりたいという声があがり、1年生から参加できるようにするかわりに大人がサポーターとして入るサポーター制度を設定したところ、参加者が増えて活性化したそうだ。
「少し前までは親の世代なら普通に体験してきたことが、今は親の世代も知らなくなっています。皆さんもやりたいのだと、勝手に解釈しています。1年生から参加している子はもう4年くらい、毎年きてくれるので、楽しいんだと思いますよ」と佐藤さんはおっしゃる。


今年は、応募者が多くて、久しぶりに抽選になったとのこと。その結果、こめっこの登録は35名、サポーターは38名で、大人だけで登録している人もいる。
こめっこクラブの活動でおもしろいのは、昔ながらの農具を使うことである。今回の草取りでは田掻車(たかきぐるま)という農具を使っていた。これは明治のはじめに登場したものである。古い農具を使うのは博物館ならではのこと。
田起こしに使う鋤や鍬はもちろん古い農具だ。脱穀に使う千歯こきや、臼型のもみすり機も準備しているという。


昔ながらの米づくりを知って、「苦労を楽しむ」を学ぶ
府中市の中央部には、古多摩川が武蔵野台地をけずってできた崖(府中崖線)があり、これを「ハケ」と呼ぶ。ハケの北側の台地上はハケ上といい畑作が多く、一方、南側の平地はハケ下といい、水田が広がっていた。今も用水路のあるところでは水田が見られる。
こめっこクラブの米づくりは種まきから始まり、その時期、いっしょに田起こしをする。
「実は前年の稲刈りのときにレンゲをまいて、これで新しい土ができますよと話をしています。すると、次の年にはその土がどうなっているか見たいと参加してくれます。そういう流れをつくりたいのです。ここでの体験を通してお米の成り立ちを知ってほしいし、楽しいんだけれど実はたいへんなんだという苦労や、イネからお米になるまでどんな仕事があるのか、昔はどうやっていたのか知ってもらえたらいいですね」と佐藤さん。
さらに、「田掻車は重いです。だから子どもたちはあまりやらない。千歯こきもコツがいる。それを知るだけでもいい。稲刈りに使うノコギリ鎌なんて、下手に扱うと指も切れてしまいます。それでもあえて、危険であることを承知で体験してほしいですね」とつづけてくださった。
確かに、イネが米になるまでにどんな作業があり、どんな苦労があるのか知って食べると、米の味はさらにおいしくなるだろう。食べ物の生産現場と消費の場がどんどんはなれてしまっている今、グルメをもてはやす一方で、食べ物への愛着が薄れている気がする。食品の大量廃棄の問題も、生産を知ることで少しは解消されるのではないだろうか。苦労を知ることは決してマイナスではない、そこから得るものも多いのだ。
さらに佐藤さんは、「サポーターの皆さんは、積極的に楽しんでやっていただいている気がします。『苦労を楽しむ』のが、皆さんが求めているところかなと思います」と感想を聞かせてくださった。
最後に、今後の方向性についてお聞きすると、
「今は、最初にここで米づくりを体験したこめっこたちが、自分たちの子どもを連れてやってくるのを待っています。最初の年に参加した子が当時10歳だとしたら、今もう40歳です。子どもがいてもおかしくありません。待っています」というお話が返ってきた。
開館当時ここで米づくりを体験した子どもたちが大人になって戻ってくるとしたら、これ以上楽しみな収穫はないだろう。いつかそんな日がおとずれることを心から願いたい。
