【第12回】協力しながら生きていく、“協生”のまちづくりをめざして ~江古田ミツバチ・プロジェクトの取り組み(アートとエコの江古田づくり)

2012.07.02

 6月3日(日)、前日までの雨の予報に反して晴天に恵まれた練馬区豊玉(とよたま)の武蔵大学で、第7回「若者と市民の環境会議」が開催された。武蔵野の面影を色濃く残す緑深いキャンパスには、歴史的な建造物と最新の施設・設備が共存している。
 会場となった「武蔵大学50周年記念ホール」は、真新しい8号館の最上階(8階)にある。途中の3階には、学生たちの憩いのスペースとなっている「空中庭園」が突き出していて、最近この一角で有志の学生たちが「ハーブ園」を育てている。隣接する3号館は、3階建ての低層棟で1923年に建築された歴史的建造物、都内でも珍しい関東大震災を経験した建物だ。
 50周年記念ホールの窓からは、江古田のまちが望めるほか、構内眼下の「空中庭園」や3号館屋上の「ミツバチ園」も見渡せる。ミツバチ園では、セイヨウミツバチの巣箱が10箱ほど並ぶ中で、白いツナギ服と網付きの麦わら帽子に身を包んだ人たちが作業をしている様子が見られた。

 若者と市民の環境会議は、武蔵大学および練馬区民環境行動連絡会「環境教育支援プロジェクト」の主催で毎年6月に開催しているイベントだ。午前中は大学構内エコツアーと銘打ってミツバチ園での採蜜(さいみつ)作業の見学と採れたてハチミツの試食会や大学構内のエコ施設の案内・説明、午後には各地の活動団体を招いての事例発表や同じ江古田にある武蔵野音大生によるエコ音楽タイムなど、内容は盛りだくさん。
 この日、ミツバチ園の見学会の準備も兼ねて、朝から「江古田ミツバチプロジェクト」のメンバーが、「内検(ないけん)」と呼ばれる作業を進めていた。ミツバチの巣箱を開けて全ての巣板を引き上げて、ミツバチが元気に活動しているか、女王蜂が元気で産卵しているか、群れに病気やダニが発生していないかといった健康面のチェック、王台(おうだい)と呼ばれる新しい女王蜂を育てる巣房ができていないかを確認したり、すべての巣板でハチミツの貯蔵状況を確認して採蜜できるかどうかなどの点検作業をしたりする。ハチミツが貯まっているようなら巣枠を遠心分離器にセットして、採蜜。群れ全体の勢いを確認し、必要に応じて新しい巣板を追加したりもする。こうした作業は、ほぼ毎週1回、採蜜と飼育技術の習得を主たる目的として、定例作業日を設けて実施しているという。

 「これだけのミツバチが飛べるというのは、それだけの環境がこの地域にあるということなんです。さらによい環境にするために、花と緑を増やそうと活動しています。もうひとつは、採れたハチミツによって江古田ブランドの銘品をつくってまちづくりにつなげていくこと。それとともに、そうした活動を通してコミュニティを再生したいと思っています。会員には中学生や大学生から80歳を過ぎた人まで参加してくれ、会話を交わしながら楽しい活動をしています」
 ミツバチがブンブン飛び交う中で説明するのは、江古田ミツバチプロジェクトの発起人で代表の谷口紀昭さん。今回の若者と市民の環境会議を主催する環境支援プロジェクトの代表も兼ねている。「若者と市民の環境会議」が温暖化防止や節電などを訴える意識啓発の場として開催しているのに対して、「江古田ミツバチプロジェクト」は江古田のまちの中でともかく具体的に動かしていく活動として立ち上げた。いろんなプロジェクトを並行して進めながら、総体として「アートとエコの江古田づくり」という、地域の協力と連携で広がりのある環境活動づくりを心がけている。15年ほど前に仕事をリタイアしてから、今やボランティア活動一色の毎日を送る谷口さんだ。

3号館屋上のミツバチ園を8号館8階の窓から眼下に望む
ミツバチ園の見学者にプロジェクトの趣旨と概要を説明する江古田ミツバチプロジェクト代表の谷口紀昭さん。
ミツバチ園では、ソバの花などをプランターで育てている。特に夏はマメに水遣りしないとすぐにしなってしまうという。

 江古田ミツバチプロジェクトの現在の会員数は60数名を数える。大学関係者と地域住民や商店会の人たちのほか、地域外からの参加者もいる。定例作業日に毎回参加しているのは、おおむね15名前後。ミツバチの活動が活発な春~秋にかけては、毎週日曜日の午前中に実施しており、冬の期間は巣箱の開閉が多くなるとミツバチたちが弱るため、月1回ほどの不定期の活動になる。
 作業内容は、内検のほか荒天の前に巣箱にロープをかけて固定したり、スズメバチがやってきたときにはトラップを仕掛けたりと、野外で生き物相手の活動だけに手がかかることも多い。寒くなってミツバチたちが不活性になってくる秋~冬の間は、砂糖水をやって栄養補給したり、発泡スチロールのケースを被せて寒さ対策もしている。

 地域の人たちが半分以上を占めるから、学生たちが忙しい試験期間や長期休み中も活動が中断することはない。一方で、大学の施設や活動スペースを借りていることで、若い学生たちの活力やアイデアが地域メンバーたちにとって刺激にもなるし、大学機関の専門性は活動の幅の拡充や奥行きの深化にもつながっている。大学教育の向上につながる提案は授業活動としての支援も受けられる。大学にとっても、地域の中の大学として地域の人たちとよい関係を築いていけることはマイナスではない。江古田ミツバチプロジェクトの顧問を務める同大の丸橋珠樹教授(人文学部)は、掛け声だけに終わらない“開かれた大学”として地域の中に根付いていくことの意義深さを強調する。

 「ユニバーシティというのは、本来そういうものですよね。うちの大学は経済学部もあるから、地域連携でエコビジネスをできるかも知れませんけど、でもそういうことだけじゃなくて、(学生にとって)地域の中に知った人が増えていくのはいいことじゃないですか──。大学をもっとおもしろい所にしていきたいんですよ。クラブ活動とゼミだけじゃなくて、地域のいろんな年代の人たちと関わりながら、その新しいつながりの中でいろんなことを学んでほしい。楽しみながら、ね」

 見学会では、会員で武蔵大学社会学部4年生の山田寛恵さんが自作のフリップボードを掲げながら、ミツバチの生態をはじめスズメバチとのバトルや農薬ネオニコチノイドの影響に関する最新の研究成果など幅広く説明した。ボードは、丸橋先生の協力と指導で作り上げたものだ。
 「わからないところは全部先生に聞いて、原稿をつくったんです。わからないことだらけでしたから、すごく勉強になりました」

フリップボードで説明する、江古田ミツバチプロジェクトの“看板娘”、山田寛恵さん。武蔵大の4年生、無事に就職も決まって、これからは会の活動に専念できると笑顔を見せる。

丸橋教授と山田さん。後ろの緑色のフェンスも、ミツバチプロジェクトに合わせてハチの巣状になっているというこだわりよう。もっとも指定して発注したわけではなく、施工会社の担当者が探してきて、提案してくれたという。関係者がそうして自分事のように思い入れと遊び心を持って関われるような、懐の深さや柔軟性が江古田ミツバチプロジェクトの特徴なのかも知れない。

 現在は千葉県市川市の実家から通っているが、卒業後は都内で就職が決まっているという山田さん。やっとミツバチプロジェクトの活動に専念できると笑顔を見せる。2010年の春にプロジェクトが立ち上がった当初からの参加だ。
 「丸橋先生の授業で、こんなことやるんだけど──って、説明があったので手を挙げた中の一人です。採れたてのハチミツが食べられるんじゃないかっていうのが動機なんですけどね。ハチミツ、大好きなんですよ! それと、人見知りを直したいなって思って」
 最初は怖さもあったというミツバチの飼育だったが、1匹の働き蜂が一生に採ってくるハチミツがわずか小さじ1杯分と聞いて、その健気さに心打たれる。黄金色に輝くハチミツを舐めるのも至福の瞬間だった。でもそれ以上に、地域の人たちといっしょになって活動することが、山田さんにとってどんどん大きくなっていったという。
 「ただ学校に通っているだけだと、地域の方と関わる機会なんて全然ないじゃないですか。でもこのプロジェクトに入って、地域の人たちに会って、この地域にはこんなお店があるんだとか教えてもらったり、そのお店でまたいろんな人に紹介されたり…。そうやってどんどんつながっていくと、この江古田という地域が、“大学があるところ”というだけじゃなくて、一体感を持って感じられるようになってきたんです」
 つい先日も誕生日をプロジェクトのメンバーに祝ってもらったという。たまたま日曜日に当たり、定例活動のあとで食事に誘われた。
 「入学前は、地域の人に誕生日を祝ってもらうなんて思ってもいませんでした」──実に楽し気に笑顔を輝かせる。

 もっと学生たちにも参加してもらいたいと、山田さん。
 「意外に知らない子も多いんです。いい勉強にもなるし、ともかく楽しいですから、どんどん参加してほしいです。ただ、日曜日の朝というのは学生的にはちょっときつい時間帯なんですよ。学校は休みだからわざわざ出てこないとならないし、部活にバイトにいろいろと忙しくしていますからね」

 2010年の秋、ミツバチの世話をしていて、刺されたことがあったという。前に一度刺されたときには大したことはなかったが、このときは高熱と吐き気と寒気が伴うひどい症状が出た。医者に行くと、ミツバチアレルギーと診断される。
 これを期に、ブログでの広報などを担当するようになった。ミツバチの飼育には関われない分、できることをやらせてほしいというわけだ。見学会等での説明なども任され、いわばミツバチプロジェクトの“看板娘”。地域のツアーにもミツバチ園の見学が組み込まれていて、多い時には月に1回ほども見学会がある。そのたびに、自作ボードを使った説明をして、今やだいぶ慣れてきている。

 「今、大学の中で、『ハーブ園』を作っているんです。これは学生の有志の活動ですが、丸橋先生から『空中庭園』の一角が借りられそうだと聞いて、じゃあハーブ園にしたいなって。使いたいんだったら、仲介するからちゃんとした企画書を学長に提出しなさいっていうことで、みんなでレポートをつくって、お願いしに行ったんです。武蔵大学は建学の精神として“自ら調べ、自ら考える”とあるにもかかわらず、学内の花の整備を業者任せにしているのもどうなんだろう、学生が少し整備するようになってもいいんじゃないかって。あ、これ、先生の受け売りなんですけどね」
 山田さんにとって、ミツバチプロジェクトの活動とは──と聞いたところ、「“大学愛と地域愛”ですね」ときっぱり。
 「大学のことが本当に好きになって。卒業したくないくらいです、ホントに。こんなに自由にやらせてくれるんだっていう思いがあって。他の大学ともつなげてくれて、地域の人たちともつなげてくれて、本当にいろいろ挑戦させてくれる大学だっていうのを実感しているし、ここに来て地域の人たちといっしょにハチも育てて花も育てて…。その地域の人たちのことも大好きになりました」

 卒業後も、今度は大学OBの学外会員の一人として、変わらず関わっていきたいと話す。「これで切れちゃったら、もったいないし、寂しいじゃないですか。よい息抜きにもなると思いますし」
 幸い、就職先は都内だから、実家の千葉から通っていた頃よりも近くなる。まだまだ長い付き合いが続くことになりそうだ。

8号館3階にある空中庭園の「ハーブ園」。ミツバチの蜜源植物を少しでも増やそうと、山田さんたち学生有志が学長宛に企画書をまとめて、認めてもらった活動だ。

 江古田ミツバチプロジェクトは、「アートとエコの江古田づくり」の一環として進めるプロジェクトの一つだという。なぜ、“アート”で“エコ”なのか、代表の谷口紀昭さんに聞いた。
 「江古田には、武蔵大学の他、武蔵野音大(=武蔵野音楽大学)や日芸(=日本大学藝術学部)というアート系の大学もあります。これら地元の三大学とも協力しながら江古田らしいまちづくりをしていきたいというのがあるんですよ」
 谷口さんに案内してもらって江古田のまちを歩いたとき、江古田駅前に『のだめカンタービレ』のアニメキャラクターが描かれた観光案内板が設置されているのに出くわした。練馬区観光協会が進める“アニメのまち”の取り組みの一環として、区内の19駅に設置されているものの一つだ。主人公たちが通う音大のキャンパス風景は、武蔵野音大がモデルになっているという。
 かつて手塚治虫をはじめ、若かりし日の赤塚不二男や石森章太郎、藤子不二雄などの漫画家たちが起居していたことで有名なトキワ荘は、近隣の豊島区椎名町にあった。練馬区大泉には東映の撮影所もある。この周辺は、古来、芸術系の著名人が多く住んだという。

谷口さん行きつけの珈琲店。壁一面に並んだコーヒーカップの中から好きなものを選んで、淹れてもらう。日常的にまちの人々のアート展やコンサートとも出会えるという。

 「今でも、江古田のまちにはライブハウスもあるし、地元住民のアート展を開催する喫茶店などもあります。アニメだけでない“芸術のまち”としての特性があると思っていて、それだから“アート”なんですよ」
 細い路地を入っていくと量り売りの味噌屋さんなど昔ながらの商店街が残っていて、なんだか郷愁を誘う生活臭が漂うようだ。一方で、駅前の定食屋ではボリューム感たっぷりのメニューが並び、学生街らしい側面もある。大学も2つはアート系で、野暮ったさはない。いわば、進取の気性に富んだ若者の活力と、古きよき暮らしの中で育まれてきた美のセンスが融合した、独特の雰囲気──。江古田のまちには、そんな特徴があるのかも知れない。

 一方、“エコ”のまちづくりは、プロジェクトのプラットフォームでもある、前述の「練馬区民環境行動連絡会」がベースになっている。
 谷口さんたちの現在の活動につながる一つのきっかけとして、2002年の練馬区民環境行動方針検討会議検討委員の公募があった。同行動方針の策定は、区の長期総合計画や環境基本計画(2001~2010)に位置づけられたもので、区では策定を進めるための区民委員を広く募集したわけだ。
 谷口さんは、もともとエネルギー・教育系の雑誌出版社に勤めていた。時代的には、ちょうど自動車の排ガス規制が厳しくなっていった頃で、ガソリン無鉛化の転換期にエネルギー産業や自動車メーカーに取材をすることも多く、環境についての関心は自然と高まっていった。エネルギーと公害の問題が人間社会にとって大きな問題になると感じるようになったという。引退してからは日中に家や地域にいることが多くなって、目に付いたのがゴミ置き場を荒らすカラスの存在だった。「エネルギーだ」「ガソリンだ」という前に、もっと身近に取り組むべき問題があると思うようになったのが、地域のボランティア活動を始めることになった最初のきっかけだった。
 練馬区民環境行動方針検討会議の検討委員の募集があったのは、地域のボランティア活動にだいぶのめり込みはじめた頃だった。

 当初20~30人ほどを想定していたという検討委員は、「自分が取り組んでみたい環境にやさしい行動」をテーマに意見を提出した94名全員が登録された。2002年12月~2004年8月までの検討期間中、全体会や各分科会やワーキングチームの会合のほか、学習会・見学会や区職員との意見交換会など、トータルで301回の会合を重ねるという活況を呈した。
 練馬区民環境行動方針が2004年8月に策定されて検討会議は解散したが、行動方針に画かれた各プロジェクトを区と協働しながら推進していく後継組織として、「練馬区民環境行動連絡会」が発足した。これが、現在の活動のプラットフォームになっている。毎年開催している「若者と市民の環境会議」を主催する環境教育支援プロジェクトも、「江古田ミツバチプロジェクト」も、練馬区民環境行動連絡会が母体となって始まったプロジェクトだ。

 練馬区民環境行動連絡会の立ち上げの前後、環境についてより専門的で最新の勉強をしたいと思っていた谷口さんは、練馬区の特別聴講生として1年間、武蔵大学で学べる機会を得た。一般の学生といっしょに講義を聴講できるほか、大学図書館や情報・メディア教育センター、福利厚生施設等の教育施設も利用できる。
 学長とも知り合って、ちょうど構想を練っていた環境会議の企画について相談した。
 「先生、こんなこと考えているんです。ついては、大学のホールを貸していただけませんか」
 谷口さんの熱意が伝わって、快諾を得ることができた。

 江古田でやる環境会議だから地元三大学といっしょにやりたいと、日芸や武蔵野音大にも声をかけることにした。
 ちょうど、区の生涯学習講座で日芸が提供する映画の講座を受講したのをきっかけに、担当の先生と雑談の中で話す機会を得た。
 「区民対象の環境会議を企画しているんですけど、その記録を撮って、環境学習のツールとして使いたいんです。学生さんたちに協力していただけないでしょうか」
 先生自身は前向きだったが、学外の活動になるため一存では決められないと、庶務課を通して正式に申し入れるようにとアドバイスされた。訪ねて行くと、学部長の了解が必要だと言われる。それで、正式に「趣意書とお願い文」を書いて、了解を得た。
 実は後日談もあって、学生たちだけではきちんと撮れないと、助教授が陣頭指揮をとって、カメラも5台ほど持ち込んで、撮影に臨んだ。立派なドキュメンタリーができあがったが、3時間の大作で、そのままでは長過ぎて環境学習の授業では使いづらかった。15~20分くらいで見られるようにして環境教育のツールとして使いたかったが、編集作業は結構難しくて、十分に活用できていないままお蔵入りしている。
 一方、武蔵野音大には、話し合いだけの会議をリラックスして楽しめるようにと、音大生によるプチ演奏会をお願いできないか相談した。今度は、理事長の了承が必要だった。広報企画室が対外的な窓口になると言われて、ここでも理事長宛の文書を書き、無事に了解を得た。
 学長(武蔵大)、学部長(日芸)、理事長(武蔵野音大)と渡り歩いてお墨付きを得た三大学とのつながりは、この時以来、今も続いている。

 ミツバチプロジェクトを始めた時も、特別聴講生のときの“縁”が大いに頼りになった。
 谷口さんが受講した環境講座の担当教官が、今やミツバチプロジェクトの顧問を引き受けてくれている丸橋先生だった。“ミツバチが飛び交う花と緑のまち”をめざしたまちづくりをしたい、武蔵大学でミツバチが飼えないか、と相談する。
 丸橋先生には、学生たちにとっても生態系のつながりを考えるきっかけになると、賛同してもらえる。ところが、当初は「危ないんじゃないか」といぶかしむ声もあったという。
 教授会の方は丸橋先生にお願いし、学園長と学長宛に依頼文を書くことにした。曰く、環境教育や地域貢献の一環として意義深い活動になるとの提案だ。
 学園長の有馬朗人さんは、物理学者で東京大学総長や文部大臣、参議院議員を歴任された経歴の持ち主で、実践的な体験学習に理解があった。
 「今の子たちは、実体験が足りていない。やってみればいいんじゃないですか。開かれた大学にしていかないと──」
 その一言で、事は一気に進み、あとは具体的な詰めの段階に入っていった。

 ボランティアの活動だったから、資金もなかった。掘建小屋で構わないから何とか用意してもらえないかと、丸橋先生に泣きつく。
 候補に挙がった3号館屋上は、古い建物で手すりもなかった。見学者──特に子どもたち──が落ちたりすると大変だ。大学の責任問題も生じる。また、屋上は水漏れの心配があって直接アンカーを打ちこむこともできない。コンクリのベースを敷設してアンカーを埋め込み、ボルトで固定した立派な観察小屋を用意してもらえることになった。落下防止の柵も設置してもらった。
 最高責任者の了解をもらえたことが大きなポイントだったと谷口さんはふりかえる。同時に、丸橋先生の全面的な協力が大きかった。いろんな場面で、理解者・協力者が次々と出てきてくれたのも、トップの了解があったからこそ、堂々と手伝ってもらえるようになったといえる。

 谷口さんにとって、こうして企画を立て、アポを取って、話をしに行くという一連の作業は、現役の記者時代に散々やってきて、お手のものだ。そうしたの経験が今のボランティア活動にも生きている。
 「ぼくね、何でも簡単にお願いしちゃうの、『協力して』って。いろんな方面からツテをたどっていって、無遠慮にお願いする。そうすると、不思議と協力してくれる人が現れてくる。今の活動もそうやって、いろんな人たちとつながって、できているんですよ」

江古田ミツバチプロジェクトのロゴマークは、日芸のメンバーがデザインした。
千川通りの「桜と蜂」をデザインし、エコの街から「エコまっち」と命名している。

江古田ミツバチプロジェクトで昨年の1年間に採れたハチミツは、総計300kgにもなった。一部は協力4店舗に卸して、ハチミツ商品の開発・販売につなげている。

 当初は瓶詰めのハチミツをそのまま商品化したかったが、屋上に据え置くミツバチ園では、ハチミツの安定的な供給は困難だった。特に冬場はミツバチたちの活動も弱まって、ハチミツはほとんど採れないどころか、砂糖水を与えて栄養補給してやらないと群れが保てない。
 そこで、地域会員の協力を得ながら、ハチミツを使ったスイーツの開発に乗り出すことにした。幸い、会員には地域の飲食店を経営するプロもいる。とんとん拍子に江古田産ハチミツを使った商品ができていった。

 江古田駅南口の『バー・アクアビット』で、はちみつレモネードを出している川中紀美子さんは、ハチミツが好きでプロジェクトに参加したが、今や誰よりも熱心に毎回の定例活動に参加している。
 「ハチミツが好きだったんですよ。ミツバチは──昆虫類は全般的に──苦手なんですけど…。以前から、銀座のミツバチプロジェクトのことは知っていて、自分で育ててハチミツが食べれるとおもしろいだろうなと思っていたら、江古田でもはじめると聞いて、勇んで参加したんですよ」

バー・アクアビットの川中紀美子さん。ハチミツが好きでプロジェクトに参加したが、今や誰よりも熱心に毎回の定例活動に参加している。手前は、江古田ミツバチプロジェクトの活動写真や新聞・雑誌等に紹介された記事などをまとめたファイル。最近は、雑誌の巻頭特集(4ページのフルカラー)にも取り上げられた。「悪いことできなくなりましたね」と苦笑する。

 アクアビットはもともと夜にバーとして営業していただけだったが、はちみつレモネードを開発して、昼間も喫茶&定食の店として開けるようになった。ハチミツの甘みとレモンの酸味がほどよく融合し、さっぱりとした後味を残す。
 レモネードをきっかけに店を知ってもらい、夜も来てもらえるようになればうれしいと話す川中さん。夜は、焼酎やウォッカで割ったはちみつドリンクも出している。プロジェクトが縁で新聞や雑誌などのメディアに取り上げられるようになって、これまでとは違う新しい客層も徐々に増えてきているという。

はちみつマドレーヌを販売しているカフェ『すのうべる』は、就労継続支援のための福祉施設の一角を喫茶店として開放している。練馬区観光協会が取り組む「ねりコレ(=練馬区にちなんだ商品)」のひとつとしても認定され、贈答用としての注文も入るという。縁を広げたいと、谷口さんが働きかけて、商品化が実現した。
 キャラメルの代わりにハチミツを使った「江古田はちみつプリン」を発売する、江古田駅北口の『アンデルセン』は、1968年オープンの老舗洋菓子屋。ねりコレに認定されている「江古田生チーズ」など、江古田の地名にちなんだ商品をいくつも開発しているが、江古田産ハチミツを使ったこの商品でもねりコレ認定に応募したいと意欲的だ。生クリーム・プリン・ハチミツの三層構造になっていて、混ぜて食べると美味と評判だ。
 パン屋『Boulangerie Django(ブーランジェリー・ジャンゴ)』では、マスカルポーネクリームにハチミツを混ぜ込んだ菓子パンを販売している。オーナー夫妻は、ミツバチプロジェクトの会員で、かつては活動にもよく参加していた。
 「ちょうどこの店のオープン準備をしていた頃にミツバチプロジェクトのことを知って、店を始める前までは活動にも参加していました。今は店があるからほとんど参加できていませんが、その分、ハチミツを使ったこのパンで少しでも貢献できればと思って…。ハチミツが入っている割りに値段を抑えているのであまり利益にはならないんですけどね(笑)」

 ちなみに、バー・アクアビットで出している昼メニューのサンドイッチには、ジャンゴの食パンを使っている。
 「そうやって会員同士の連携も進めながら、ミツバチプロジェクトを軸にしたまちづくりを具体化していこうというわけです」
 そう言って、目を細める谷口さんだった。

バーアクアビットの「はちみつレモネード」
カフェすのうべるの「はちみつマドレーヌ」
咲いたヤマユリ(上川やまゆりの里)
洋菓子店アンデルセンの「江古田はちみつプリン」

4店舗で商品化したはちみつスイーツの品々