【第09回】「ゴミを拾うというただそれだけのことが、人生を変えるきっかけになる ~『100万人のゴミ拾い』の取り組み(「100万人のゴミ拾い」実行委員会)
2012.05.15
雨の日本武道館前のでゴミ拾い
「みなさん、おはようございます! この『100万人のゴミ拾い』は、目の前のゴミを堂々と拾える人たちをどんどん増やしていこうということでやっているプロジェクトです。一つの目標として、5月3日を、バレンタインデー(2月14日)でチョコを贈ったり、節分(2月3日)で豆をまいたりするのと同じように、誰が決めたかわからないけど“ゴミを拾う日”だというようにしていきたいと思っています。2010年の段階で全国各地の10万人、今年は12万3千人と、どんどん増えてきています。あいにくの天気ですが、どうぞよろしくお願いします」
降りしきる雨の中、「100万人のゴミ拾い」呼びかけ人・荒川祐二さんの声が響く。
2012年5月3日(祝)、太平洋沿岸をゆっくりと進む低気圧の影響で、東日本を中心として全国的に雨模様となった。東京都内は時に横なぐりの強い雨となる。荒川さんの前に立ち並ぶのは、学生ボランティアなど有志10数名と、この日のスペシャルゲスト・ビジュアル系アーティストの砂月(さつき)さんをはじめ、SwallowtaiLのYanagiさん、EATHERLYの守(まもる)さん、ROGUEのミナミさんが駆けつけてくれた。アーティストの聖地・日本武道館の前で、これからゴミ拾いをはじめようというのだ。
公園内の緑地は意外にきれいで、一見、ゴミは見当たらない。ただ、繁みの中や物陰には、コンビニ弁当のプラスチックの空き箱や、空き缶・空きびん、菓子袋などが潜む。アメの小袋やたばこの吸い殻などの小さなゴミも、よく見ると半ば土に埋もれて散らばっているのがわかる。大まかに分別しながら、ビニール袋に拾い集めていった。
路面には、仔亀の圧死骸もいくつか見られた。雨に誘われて這い出てきたところを車のタイヤに踏みつぶされたらしい。こちらは、つまんで土の上に移すことにする。
降りしきる雨の中、鬱蒼と緑濃い公園の一角でゴミを拾いながら静かな時間を過ごすのも、案外に乙なものだったといえる。
この日、全国各地はもとより世界の各国で「ゴミを拾う!」と名乗りあげた人たちは総勢で12万3千人あまりにもなったという。今年で6年目となった「100万人のゴミ拾い」は、年々参加人数を増やしてきた。ただ、雨の一日になったのは今年が初めて。転機を迎える中で、“雨の中でもやるゴミ拾い”は、ひとつ意味ある一日になったのかもしれないと、荒川さんは全身ずぶ濡れになりながら笑顔を見せる。


ビジュアル系アーティスト・砂月さんの求心力で
100万人のゴミ拾いは、2006年11月に荒川さんが一人、ゴミを拾い始めたのを発端として、徐々に輪が広がっていった活動だ。毎年5月3日を“美を護る”「護美(ごみ)の日」と読んで、いろんな人たちが、思い思いの場所で、その人なりのこだわりによって、「ゴミを拾う」という活動を一斉にやることで、思いをつなげ、活動を広げていこうというもの。いまや10万規模の人たちの賛同を集めるまでに広がりをみせ、「100万人のゴミ拾い」という呼称も荒唐無稽な夢物語とは言えなくなってきている。
2007年 | 全国27カ所、444人 |
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2008年 | 全国約50カ所、約1500人 |
2009年 | 全国200カ所以上、総勢1万5534人 |
2010年 | 世界の30カ国・全国300カ所以上、総勢約10万3036人 |
2011年 | 世界の30カ国と全国500カ所以上、総勢10万人 |
2012年 | 12万3千人の参加表明 |
荒川さんの東京会場では、今年はちょっと趣向を変えて、あえてひっそりと少数精鋭のゴミ拾いの会を企画した。この日の午前中に実施した、日本武道館周辺でのゴミ拾いもその一つ。
ゲストに招いたビジュアル系アーティスト・砂月さんは、世界公演の一環として、今年の2月~3月にかけてヨーロッパの6カ国で9公演のライブツアーを催行した、知る人ぞ知るカリスマだ。世界各地にファンがいる砂月さんが、ブログやfacebookなどで「5月3日にいっしょにゴミ拾いをしよう!」と呼びかけたところ、意外によい反応で受け入れてもらえたという。日本人以外のファンの人たちに、“5月3日にゴミを拾うことの意味”が伝わるのか心配だったという砂月さんだが、海外ツアーでは普段日本で演奏している日本語の歌詞のオリジナル曲を歌っていて、ちょっと歌詞を間違えたりしても「NO!」とすぐに湧き上がるなど、その熱心さに驚かされることも少なくない。遠い地で直接触れ合う機会が限られる分、共体験を楽しんでくれるのかもしれない。
日本武道館周辺ではあえて告知せずに内々のゴミ拾いにしたが、呼びかけに応えてくれた全国・全世界のファンにはそれぞれの住んでいる場所などで拾ったゴミを写真に撮って投稿してもらった。その多彩な写真を色味によって配置することで、砂月さんのモザイクアートをつくるというのが今回の企画の趣旨。この日に集結した全国・世界中の協力者によるゴミ拾いの成果が、合計5300枚ほどの写真を並べてポーズを取る砂月さんの姿を浮かび上がらせた。
インターネットを通じたUstream放送による都内スタジオからの生放送も発信した。その道のプロたちが手弁当で参加して、「5月3日にゴミ拾いをする」というだけのイベントを盛り上げる。
荒川さんや砂月さんがゴミを拾っている現場からの中継や、モザイクアートができていく様子を撮した映像が流れ、「黒系のゴミや白系のゴミが足りない」と呼びかけると、撮った写真をモノクロにして送ってくれる人もいたりと、リアルタイムの反応が心強かった。
北海道、横浜、静岡など全国各地でゴミ拾いをする現地からの中継も入り、同じ目標を共有する充実感でいやがおうにも盛り上がっていった。
ゴミ拾いなんて、学生の頃に掃除係としてやって以来だったという砂月さんだが、ファンの人たちの好意的な反応や協力をもらって、逆に元気をもらったと喜ぶ。雨の中のゴミ拾いも、繁みの中をかき分けて探していくうちにおもしろくなってきて、ついつい熱中していた。普段はこうした活動をまったくしていなかったものの、気にはしていた。荒川さんとの出会いできっかけをもらえて、来年以降も続けていって、“五月晴れのゴミ拾い”をしたいと語る砂月(さつき)さんだった。

世界中でファンの人たちが拾ったゴミの投稿写真をもとにしてつくった、砂月さんのモザイクアート。ゴミの写真の色味によって配置して、モザイクアートを構成している。一つひとつのモザイクパーツを拡大すると、ゴミの写真で作られていることがわかる。

iphoneのskype機能を使って、Ustreamの中継に映像を送る。ずぶ濡れになりながらカメラ越しにメッセージを送る荒川さん

日本武道館の前で
毎朝、一人ゴミを拾い続けた日々
2006年11月に荒川さんがゴミ拾いをはじめたきっかけは、ごく単純な思い付きだった。大学生だった荒川さんが、自堕落に毎日を過ごしていた当時の自分を変えるために何かしなければと一念発起して始めたのが、“誰にでもできるゴミ拾い”だったという。
ふと誘われて観に行ったドキュメンタリー映画。「動けば変わる」というテーマで、若者たちが数々の無謀な挑戦に挑んでいく姿を描くものだった。映画の冒頭では、自信も夢も目標もなく生きていた自分と同世代の若者たちが、映画の進行とともにどんどん表情を変えていく。生き生きと表情を輝かせていく彼らに、自分自身の姿を重ね合わせて、感動とともに一抹の寂しさや悔しさを覚えていた。
映画の一場面でゴミを拾うシーンが印象に残ったこともあって、コネも元手もなしにともかく始められることとして思い浮かんだ。場所は、ゴミが散乱する新宿駅東口が真っ先に頭に浮かんだ。自宅からもほど近く、学校への通学路でよく利用していた。「ここをきれいにしてやろう!」。高い目標に挑む高揚感があった。
時間は、毎日続けるには早い方がよいと、毎朝6時に起きて出かけていくことを決めた。
背中に「一緒にそうじしてくれる人募集!!」と書いた看板を背負った。仲間を集めるのが目的というよりは、目立ってやろうという遊び心だった。時に2006年11月8日のことだった。

簡単に考えていたゴミ拾いだったが、あちこちに散乱する膨大なゴミは少し拾ったくらいでは何も変わらなかった。無力感にさいなまされ呆然と立ち尽くす。気を奮って始めても、なかなか手ごたえは得られなかった。
孤独な作業が一変したのは、まずは悪い方向へだった。酔っ払いやヤクザに絡まれ、顔に唾吐きかけられたりカラスの死体を投げつけられたりと嫌がらせをされた。平身低頭しながらゴミを拾い、肩を落として家路につく毎日が続いた。やめようと思うことは何度もあったというが、ともかく1カ月は続ければ、何も変わらなかったとしても、やり遂げた経験は自信と誇りになってくれる気がしていた。
そうして辛い日々が続いたが、もうこれで本当にやめようと思ったある日、ホームレスのおじさんが手伝ってくれた。失望感と人間不信で、いつしか何のためにやっているのか目的もわからなくなっていた毎朝のゴミ拾い。いつも見ていたから手伝ってみようと思ってと笑顔を見せるそのおじさんとの出会いは、まさに地獄に仏のような心境だった。それからまた、別のホームレスのおじさんが手伝ってくれるようになり、事態は次第に変容していった。最初の目標で、「なにがなんでも1カ月間は続ける!」と決意した期間を過ぎていた。特別な感慨や達成感はなく、自然と、もう少し、できるところまで続けていこうという気になっていた。

いっしょにゴミを拾ってくれる仲間が増えて、開始からちょうど1ヶ月半経ったその年の年末のことだった。とある新聞紙面に荒川さんの活動が紹介されることになった。「自分を変えたい」と言った言葉が、誌面では「世界を変えたい」と書かれていた。「来年も毎朝続けていく」との言葉を締めにして。
慌てて駅前に出かけると、年末年始はゆっくり休もうと言っていたホームレスのおじさんたちは変わらずゴミを拾っていた。朝の駅前には、見知らぬ人たちが「いっしょに手伝わせてください」と声をかけてきた。記事を見て、手伝ってくれようとやってきた人たちだった。
最初は戸惑いも覚えたが、素直にうれしく思えていた。さらに、テレビ番組でも取り上げられるなど色々な形でメディアに露出したことで、広がりが増していった。多くは、「何かしたい」けど「何をすればいいかわからない」という若い子たちで、新聞やテレビを見て、共感してくれたという。
自信や確信を持てるようになっていた。信頼できる仲間たちとも出会い、新宿の街もきれいになっていって、“ゴミ拾いで人生変わるんだ”と心から思えた。だったら、この人生が変わるきっかけになる一日を年に一回でも作ってみたいと思って始めたのが、5月3日のゴミ拾いだった。
第1回として呼びかけた2007年5月3日。突然の思いつきと呼びかけだったが、反応は早く、想像以上の広がりで参加表明が届いた。当日の朝、新宿駅前には88人が集まり、全国27カ所で総勢444人の仲間たちがゴミを拾った。

新宿駅前に集合してくれた88人の人たち
5月3日が「護美(ごみ)の日」として定着することを願って──
2007年5月3日に第1回を開催して以来、年に一度、「全国でゴミ拾いをする一日」を呼びかけてきた。
組織化するつもりはない。5月3日を一つのきっかけにしてその人なりに参加してもらい、何か思うことがあれば、そこから先は自分なりの活動をしていってほしい。そして、また一年後の5月3日に再開しようというわけだ。
今の時代、mixiやfacebookなどソーシャルメディアを通じて情報が瞬時に伝わる。その分、リアルじゃないつながりの中で、リアルな体験を求める人たちも少なくはない。そんな人たちに、ゴミ拾いという活動がフィットしたのかもしれない。
2010年に10万人の大台に乗った。その中には、スポーツ大会に集まった数万人に呼びかけさせてもらってカウントするというのもあって、それらも含めての総数。ただ、全国の各地で、数十~100人単位でゴミ拾いのために主体的に集まる人たちが参加していて、荒川さんも新宿駅前で150人ほどといっしょにゴミを拾ってきた。参加人数だけではない手ごたえがズシリと感じられている。

今後も、「5月3日」という一日にこだわって、100万人のゴミ拾いを続けていきたいと荒川さんは言う。“続けていきたい”という以上に、今となっては簡単にはやめられない、妙な責任感や使命感がある。でもそれは志を同じくする人たちとの心地よい関係性の中で成り立つものだ。
“美を護る”という思いで付けた「護美(ごみ)の日」。そんな語呂合わせではじめたこの日のイベントだが、呼びかけ人の思い入れを超えて、意味なんてよく知らなくても、多くの人たちが当たり前のように「ゴミを拾う日」として認識できるようになっていってほしい──。