【第06回】“出店者”と“購入者”の一期一会を創り出す ~『0円均一』の取り組み(高島亮三さん)

西武池袋線ひばりヶ丘駅を下りて、北口の急な階段を降りると密集した商店街が建ち並ぶ。商店街を抜けて徒歩10分ほど、住宅密集地の入り組んだ狭い路地の一角に置かれた小さな地蔵堂が目印の洒落た一軒家。ここが新進気鋭の美術家・高島亮三さんの自宅兼アトリエ。ここ西東京市を発祥の地とする『0円均一』の考案・提唱者だ。

『0円均一』とは端的に言えば、自分の不要になったものを誰か別のほしがってくれる人に譲るための仕組みだ。ただ、『0円均一』なりの特徴や工夫がある。
一つ目、そして最大の特徴は、赤地に白抜きの色鮮やかな「0円均一」の大きな文字のロゴ(商標)。「0」の文字は2つの矢印が組み合わされ、地域の中での“循環”をイメージしている。遠目からも目に付き、インパクトある書体とわかりやすいメッセージが通りすがりの人たちの意識を引きつける。

『0円均一』の色鮮やかな商標用紙

そう、文字通り、「0円均一でご自由にお持ち下さい、お代は頂戴しません」というわけだ。
もう一つは、この真赤な商標用紙が0円均一公式サイト( http://www.kamisky.jp/zero/ )よりダウンロード自由な状態で公開・提供されていること(PDF形式、サイズA4)。ダウンロードした人が自宅のプリンター等で印刷して、段ボール箱に貼り付ければ、誰でもすぐに『0円均一』の出店ができる。

 この0円均一出店のための箱、西東京市の環境学習施設「エコプラザ西東京」(西東京市泉町3-12-35 TEL:042-438-4042)に行けば、商標が一面に大きく印刷されたオリジナル段ボール(通称「0均箱」)を「販売」。価格はもちろん0円均一なので、持ち帰って中身を用意すれば、そのまますぐに出店可能だ。
高島さんは、「0円均一は、誰でも簡単に商える、不用品譲渡専門の『個人商店』です」と定義していて、楽しく出店・買い物するための“5つのルール”を定めている。

  • ルール1 金銭のやり取りは、絶対に行わない。
  • ルール2 危険物、動物、食物、腐敗の恐れのあるもの、または公序良俗に反する物は取り扱わない。
  • ルール3 自店に残った不用品、他店から頂戴した用品は、各自で適正な最終処分を行う。
  • ルール4 不用品授受の際に諸問題が生じた場合は、当事者間できちんと解決する。
  • ルール5 このために無理して不用品を出さない。不用品は持ってないに越したことはない。

 0円均一は、まずは自宅の不用品(ゴミではないものの、もはや自分や家族にとって必要ではなくなった物)を集める“仕入れ”作業から始まる。はやりの断捨離ではないが、ついつい増えていく自宅の物たちを見直して、もう要らないかなと思う物たちへ感謝を込めて、「0円均一」の商標を貼り付けた箱の中に移していく。この箱を、自宅の玄関先に置いて“開店”するわけだ。フリマなどと違って、金銭のやり取りは生じないため、その場にずっといる必要はない。通りすがりの来店者たちも、店主のプレッシャーを受けずに、箱の中で気にいった物を自由に持っていってくれる。
箱の中の不用品がなくなって空っぽになったり、もうこれ以上引き取り手がなさそうだったら、“閉店”する。キリのよいところで箱を自宅内に片付けて、次の出店に備える。

これまでに、高島さんが「0円均一 高島亮三商店」で取り扱ってきた品には、以下のようなものがある。

  • 古本屋でも買い取り・引き取りを断られてしまった本や雑誌
  • 子どもにせがまれて通い、溜まっていったマクドナルドのハッピーセットのおまけたち
  • 中身を食べ終えた後、捨てられずに取ってあった「峠の釜めし」の陶器製容器
  • モロゾフのガラス製のプリンカップ
  • いつの間にか増えている植木鉢
  • いつの間にか増えているメガネケース
  • 植木鉢に種が落ちて大量発芽した青ジソの株
  • 参加賞でもらったけど使うアテのないボールペンやメモ帳
  • 柳宗理のヤカンを買ったためお役目終了となったそれまでのヤカン

などなど。

おそらくどのお宅にも、「いつか使うだろう」と取ってあったり、まだ十分使えるものの新調して不要になったりと、ただ捨ててしまうには惜しいような物の数々が死蔵されているに違いない。それらを思い切って捨ててしまうのも一つの手だが、愛着あった物たちが0円均一商店を通じて、他の人の役に立ててもらえることになれば、物にも自分にとってもありがたい。リサイクルショップに持って行っても買い叩かれたり引き取ってすらもらえなかったりする物──持って行くのも一手間だ──も、玄関先の0均箱に入れて置いておくだけで新たな嫁ぎ先が見つかる…かもしれない。それこそが、0円均一のねらいといえる。

0円均一商店の出店イメージ。あなたの不要品が、誰かのお気に入りになるかも知れない。
玄関先に置かれた0均箱
(2012年2月、埼玉県北本市にて)

かつて中央線沿線のアンティーク街でアパート暮らしをしていた頃、街を歩いていて「ご自由にどうぞ」と札を張って置いてある家具や小物に出会うことがあったという。一番最初に出会った棚は、ベニヤ板を渡して机に仕立て、今も愛用している。当時はもっぱらもらってくる専門だった高島さん、偶然出会った最初のインパクトが強かったためか、その後も目を配るようになり、以後も何度かうれしい出会いに心躍らせたという。
子どもができて、実家のあるひばりが丘に戻ってきた。日々成長する子どもの服など、子ども用品は新品に近いものがすぐに使えなくなる。また独身時代と違って、夫婦で暮らしていると物にも好み・価値観の違いが如実に表れる。こうして捨てるには惜しい不用品が家の中に溜まっていることに気づいたとき、独身時代に街を歩いていてもらってきたときの経験がよみがえってきた。
立地にも恵まれていた。角地ながら公園も近く、人通りも多い。家に眠る不用品をまめに片付けるようになり、「0円均一」の箱に入れて出すようになった。時に、2008年初春のことだった。

 自宅の前に箱を出して自由に持って行ってもらうのが、0円均一の基本。でも過去には、もう少し大々的なイベントとして打ち出したことが何度かある。
その一つ、2011年11月には杉並区の善福寺公園界隈を舞台に0円均一商店街を開いた。地元小学校の協力を得て、初日は小学校の体育館に出張店舗を開店する市場形式とし、その後、各児童宅の玄関前で出店する形式により20日間ほど実施した。元々、善福寺公園の野外美術展に出展していたつながりで、同校の図工の先生と面識ができ、学校でも何かできないかと相談されたのがきっかけだった。「0円均一っていうのをやってるんですが、どうですか?」「おもしろそうですね、やってみましょうか」。先生が学校内の調整を引き受けてくれて、トントン拍子に話が進んだ。
ここでの出店で、ある女の子の箱の中に、少女マンガの雑誌のバックナンバーが2冊入っていた。雑誌なんて、資源回収に出すくらいの意識しかなかったという高島さんにとって、これは意外な発見だったという。想像するに、出店した女の子にとっては大事なお小遣いの小さくはない割合を占めて買い求めた大切な物だったに違いない。愛着あったこのマンガ雑誌は、その子にとっては捨てる対象にはならなかったのだろう。0円均一商店を眺めていると、箱の中の物に出店者たちの“思い”が垣間見えてくる。

杉並区の小学校体育館で開催した0円均一商店街の様子(2011年11月3日)

 0円均一には、コミュニケーション的要素はあまりない。物を置いておく「出店者」と、気に入った物を持ちかえる「購入者」との間に、直接的なコミュニケーションは介在しない。でもそれは、例えば醤油が切れていたときにお隣さんを訪ねて借りてくるような昔ながらの地域コミュニティが過去のものになっている今の、いわばドライな時代の隣人関係により合致した、地域循環の手段として成立し得る可能性を秘める。
出品者と購入者の“物”に対するとらえ方の違いが、一期一会の出会いを生む。そんな予想外のワクワクドキドキな出会いが、0円均一を介して生まれているといえよう。
 
埼玉県北本市でも、2012年2月4日~5日の2日間にわたって、0円均一商店街が開催された。250戸あまりの自治会が進める地域資源を活用した街づくり事業の一環として企画採用されたものだ。会期中、高島さんは案内所を開設して、出店状況を確認しながら更新する「商店街マップ」を配布したり、0均箱(『0円均一』の商標を印刷したオリジナル段ボール箱)を“販売”(言うまでもなく「0円均一」)したり、呼び水としての0均箱の出店をしたり。会期前後の企画会議や開催予告チラシの作成・配布など3~4か月間ほど、かなりの時間を割いて臨んだという。予告チラシは、250戸の住宅へのポスティングと、近隣小学校でのクラスごとの配布。小学校の児童や保護者は、有望な顧客かつ店主として期待できる。

こうしたイベントは、ライブのような楽しさや充実感もあって、これからも1シーズンに1回くらいは実施していきたいという。ただ、基本は近場での日常的な開店をもっと定着していきたいという。

0円均一 北本チサン第三商店街、開店!(2012年2月4日~5日、埼玉県北本市石戸4丁目にて)

 ひばりが丘近隣や西東京市内など地元周辺地域での出店呼びかけ企画もいくつか進めている。
毎年5月、西東京市・東久留米市・小平市西部などを配布対象とするタウン誌に記事と広告を掲載してもらい、0円均一の出店呼びかけをしている。5月20日~30日の期間を「いつになく、ゴミなし」と読んで『0円均一週間』と銘打ち、誌面に掲載した0円均一商標を切り抜いて箱に貼ってもらい、それぞれに出店してもらう。会期中に街を歩いていると、数軒の出店を見かけることがあった。わずかながらも応えてくれている人たちの存在が心強くもある。
杉並区の小学校で実施したような全校児童対象のイベントが地元の小学校でもできないかと、市役所に足を運んでみたり、市内の全小学校長宛てに企画書を送ってみたりと、種を撒いている。どこかで芽が出てくれるとよいのだが…。

高島さんにとって、『0円均一』は美術作品の一環としての捉え方でもあるという。多くの時間も費やしているし、今は予算も「0円均一」のことが多く持ち出しばかりになっている。でも美術作品として捉えると、それほどの違和感もない。世のため、人のためではなくて、自らの妄想を視覚化してみたいだけですと、謙遜を交えて語る。もちろん、必要な予算をいただいて実施できた方が継続性が臨めるのは言うまでもないが。
 
かつて中央線沿線で見かけた「ご自由にお持ちください」の札は、ひばりが丘に越してきてから街中を歩いていてもあまり見かけなかった。街の文化の違いなのかもしれないが、まわりで誰もやっていないと始めるきっかけすらない。

『0円均一』を一大ムーブメントとして盛り上げていきたいという思いは必ずしもない。もっと自由で、個人の取り組みの集積として自然に広がっていくことをイメージしているようだ。気づくと街のどこかで『0円均一』の商標を張った段ボールが置かれている風景が違和感なく受け止められているような。
あえて言えば、自分が言いだしっぺでやっているわけではないんだよと、出店者がなんとなくの言い訳を持ちながらやり始められるための、舞台装置や道具のお膳立てだったり、必要なら演出の手伝いもしよう、と。でも実際に舞台に上がって演じるのは、それぞれの役割だ。そんな個人レベルでやるのに楽な方法になればよい。
反響があるとうれしい。でも、『0円均一』の商標を使わなくたって、いろんなところで勝手に広がっていってくれるとなおうれしい。

エコプラザ西東京にほど近い市内のとある大型マンションで、ロビーの片隅に、近頃『0円均一』の箱が置かれている。たまたま出入りする機会があって気が付いただけで、高島さんの仕掛けではない。管理人さんが常駐するマンションだから、管理人さんが置いているのかもしれない。
マンションなど公共空間での0円均一は、ともするとマナー違反などの苦情が出る可能性もあって、自己責任を旨とする0円均一としてはおススメするものではない。一方で、自宅前の0均箱よりは匿名性が高まって、それぞれが節度を持った利用になりさえすれば、うまく機能するのかもしれないという期待もある。
 
取材の帰路、駅に向かう途中のヘアサロンの店先で、イスに置かれたカゴの中に古雑誌が何冊か入れてあって、「ご自由にお持ち帰りください」のメッセージボードが置かれていた。0円均一の精神に則って、ありがたく持ち帰らせていただくことにした。

地元での認知度向上をめざして、西東京市民文化祭2010に出店(2010/10/30~11/1 きらっと西東京多目的ホール)

『0円均一』提唱者の高島亮三さん
(北本チサン第三商店街の案内所にて)