第39回 環境・生活・経済の好循環による持続可能な環境先進都市おおた・大田区
東京には、人口密度の高い都心部から緑豊かな町村部、本土から海を隔てた島しょ部など異なる環境にある62の区市町村(23区、26市、5町、8村)があります。そんな東京62市区町村の各地域を実際に巡って(散歩して)、地域ごとの環境への取り組みを知り、感じるためのヒントとなるスポットをクイズ形式で紹介します。

大田区にやってきました。
大田区は、西北部の丘陵地帯と東南部の低地に2分され、丘陵地帯はいわゆる武蔵野台地の東南端にあたります。
海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置していることから、昔から人が住みやすく、交通の要路でもあったため、区内には大森貝塚、多摩川台古墳群、池上本門寺五重塔など多くの史跡が点在しています。埋め立てによって拡張した羽田空港は、区の面積の約4分の1を占め、交通アクセスがよいのも特徴です。
大田区環境ビジョン2050では、「3つのゼロ」の一つとして「温室効果ガス実質ゼロ」を目指し、脱炭素まちづくりを推進しています。
どんな「エコ」が見つけられるか、大田区を散歩してみましょう。
- 呑川
- 公園の前は?
- カーボンニュートラル
- 海苔づくり
大田区を横断するように流れる呑川(のみかわ)の上流、大岡山駅付近にやってきました。コンクリートで護岸された両岸は緑道となっていて、さらさらとゆっくりとした川の流れに沿って散歩する人が多くいます。
Q1 大田区が呑川の水質改善のために取り組んでいるのはどれ?
1 川底に高濃度の酸素を含んだ水を送り、水質を改善する
2 川の水を定期的にすべて抜いて掃除する
3 呑川をコンクリートで覆う
4 川の魚をすべて別の川へ移す
正解と解説
正解 1 川底に高濃度の酸素を含んだ水を送り、水質を改善する
大田区では、呑川をきれいにするために高濃度酸素水や合流式下水道の改善など呑川の水質浄化に向けて様々な取り組みを行っています。
川の表層付近は酸素が豊富ですが、低層は下水道から流入する汚濁物質の堆積・分解により酸素が消費され、低酸素状態となることで水質が悪化する原因となっています。そのため、酸素を高濃度に溶解した水を底層に流すことで、水質の改善を目指しています。
呑川は、沿川の下水道整備や湧水減少により、平常時の流量が極めて少ない状況となっているため、東京都が、清流復活事業として、1995(平成7)年から新宿区上落合にある落合水再生センターで高度処理された水を目黒区の工大橋付近から呑川に導水したことで、現在はこの水が呑川の主な水源となっています。
呑川と並行するように南側を流れる多摩川のほど近く、多摩川駅すぐそばの田園調布せせらぎ公園に向かいました。湧水や自然あふれる公園で、園内には文化施設「田園調布せせらぎ館」と体育施設もあり、多くの人が訪れています。
Q2 田園調布せせらぎ公園は、昔は何があった場所?
1 城
2 空港
3 遊園地
4 古墳
正解と解説
正解 3 遊園地
田園調布せせらぎ公園は、かつて「多摩川園」という遊園地があった場所です。
1925(大正14)年に開園し、多くの人に親しまれましたが、レジャーの多様化や入園者の減少などによって、1979(昭和54)年に閉園しました。
その後しばらくは、会員制テニスクラブとして利用されていましたが、土地が売却されたため、緑を保存する要望が高まり、2001(平成13)年に大田区が取得し、湧水、樹林などの自然を生かした公園として整備しました。
園内には湧水地が3か所あり、様々な水生生物が生息するほか、春にはサクラ、秋にはイロハモミジの紅葉を楽しむことができます。
都営地下鉄浅草線の西馬込駅から徒歩1分、公共施設「ライフコミュニティ西馬込」にやってきました。会議室や和室、音楽スタジオなどを住民が借りられる施設です。
Q3 カーボンニュートラルの実現を目指して全国の自治体の施設で初めて導入した設備とは?
1 振動発電機
2 高効率燃料電池
3 ペロブスカイト太陽電池
4 Pepper(ペッパー)くん
正解と解説
正解 2 高効率燃料電池
燃料電池とは、水素と酸素を化学反応させて電気を作る発電設備のことです。
ライフコミュニティ西馬込に導入したシステムは、設置面積あたりのCO2排出量削減効果が高いこと(※)から、設置スペースが限られている都市部でのCO2削減に有効な手段です。敷地が狭小で太陽光パネル等の設置に制約が多い場所でも設置でき、環境負荷を低減する選択肢として期待されています。
通常時の発電による電気代削減はもちろん、災害等による停電時に自立電源として利用できるため、施設の防災機能強化にも貢献しています。
※設置面積は、同等のCO2排出量削減効果が得られる、一般的な太陽光発電パネルの設置面積の約1/40(東京ガスHPより引用)
京浜急行電鉄(京急)本線の平和島駅から徒歩15分、「大森 海苔のふるさと館」にやってきました。ここでは、江戸時代の中頃から続いた大田区の海苔づくりの技術や歴史を学ぶことができるようです。
Q4 東京湾では海苔づくりがかつて盛んでしたが、海苔づくりが終わる理由の一つとなったのはどれ?
1 海の水温が急激に上がったから
2 海を埋め立てる工事が計画されたから
3 海苔を食べる魚類が増えたから
4 海苔の消費量が減ったから
正解と解説
正解 2 海を埋め立てる工事が計画されたから
大田区の海苔づくりは、江戸時代の享保年間(1716~36年)のころに始まったといわれています。
遠浅の海辺が広がる大森周辺は大きな産地として発展し、大田区沿岸の海苔は質、量ともに全国に誇るものとなり、“本場乾海苔”と称賛されていました。
しかし、高度経済成長に伴い海の水質が悪化し始め、さらに東京港を再整備するために海を埋め立てることになったため、大森の海苔養殖は1963(昭和38)年春に幕を閉じました。
大森 海苔のふるさと館では、国の重要有形民俗文化財に指定されている「大森および周辺地域の海苔生産用具」の展示をはじめ、海苔づくりを支えてきた伝統の手わざを体験することができます。





