トップページ > 環境レポート > 第9回「ゴミを拾うというただそれだけのことが、人生を変えるきっかけになる ~『100万人のゴミ拾い』の取り組み」(「100万人のゴミ拾い」実行委員会)
「一緒にそうじしてくれる人募集!!」の看板
2006年11月に荒川さんがゴミ拾いをはじめたきっかけは、ごく単純な思い付きだった。大学生だった荒川さんが、自堕落に毎日を過ごしていた当時の自分を変えるために何かしなければと一念発起して始めたのが、“誰にでもできるゴミ拾い”だったという。
ふと誘われて観に行ったドキュメンタリー映画。「動けば変わる」というテーマで、若者たちが数々の無謀な挑戦に挑んでいく姿を描くものだった。映画の冒頭では、自信も夢も目標もなく生きていた自分と同世代の若者たちが、映画の進行とともにどんどん表情を変えていく。生き生きと表情を輝かせていく彼らに、自分自身の姿を重ね合わせて、感動とともに一抹の寂しさや悔しさを覚えていた。
映画の一場面でゴミを拾うシーンが印象に残ったこともあって、コネも元手もなしにともかく始められることとして思い浮かんだ。場所は、ゴミが散乱する新宿駅東口が真っ先に頭に浮かんだ。自宅からもほど近く、学校への通学路でよく利用していた。「ここをきれいにしてやろう!」。高い目標に挑む高揚感があった。
時間は、毎日続けるには早い方がよいと、毎朝6時に起きて出かけていくことを決めた。
背中に「一緒にそうじしてくれる人募集!!」と書いた看板を背負った。仲間を集めるのが目的というよりは、目立ってやろうという遊び心だった。時に2006年11月8日のことだった。
毎朝、1人、新宿駅東口でゴミを拾っていた頃
簡単に考えていたゴミ拾いだったが、あちこちに散乱する膨大なゴミは少し拾ったくらいでは何も変わらなかった。無力感にさいなまされ呆然と立ち尽くす。気を奮って始めても、なかなか手ごたえは得られなかった。
孤独な作業が一変したのは、まずは悪い方向へだった。酔っ払いやヤクザに絡まれ、顔に唾吐きかけられたりカラスの死体を投げつけられたりと嫌がらせをされた。平身低頭しながらゴミを拾い、肩を落として家路につく毎日が続いた。やめようと思うことは何度もあったというが、ともかく1カ月は続ければ、何も変わらなかったとしても、やり遂げた経験は自信と誇りになってくれる気がしていた。
そうして辛い日々が続いたが、もうこれで本当にやめようと思ったある日、ホームレスのおじさんが手伝ってくれた。失望感と人間不信で、いつしか何のためにやっているのか目的もわからなくなっていた毎朝のゴミ拾い。いつも見ていたから手伝ってみようと思ってと笑顔を見せるそのおじさんとの出会いは、まさに地獄に仏のような心境だった。それからまた、別のホームレスのおじさんが手伝ってくれるようになり、事態は次第に変容していった。最初の目標で、「なにがなんでも1カ月間は続ける!」と決意した期間を過ぎていた。特別な感慨や達成感はなく、自然と、もう少し、できるところまで続けていこうという気になっていた。
2007年5月3日に新宿駅前に集合してくれた88人の人たち
いっしょにゴミを拾ってくれる仲間が増えて、開始からちょうど1ヶ月半経ったその年の年末のことだった。とある新聞紙面に荒川さんの活動が紹介されることになった。「自分を変えたい」と言った言葉が、誌面では「世界を変えたい」と書かれていた。「来年も毎朝続けていく」との言葉を締めにして。
慌てて駅前に出かけると、年末年始はゆっくり休もうと言っていたホームレスのおじさんたちは変わらずゴミを拾っていた。朝の駅前には、見知らぬ人たちが「いっしょに手伝わせてください」と声をかけてきた。記事を見て、手伝ってくれようとやってきた人たちだった。
最初は戸惑いも覚えたが、素直にうれしく思えていた。さらに、テレビ番組でも取り上げられるなど色々な形でメディアに露出したことで、広がりが増していった。多くは、「何かしたい」けど「何をすればいいかわからない」という若い子たちで、新聞やテレビを見て、共感してくれたという。
自信や確信を持てるようになっていた。信頼できる仲間たちとも出会い、新宿の街もきれいになっていって、“ゴミ拾いで人生変わるんだ”と心から思えた。だったら、この人生が変わるきっかけになる一日を年に一回でも作ってみたいと思って始めたのが、5月3日のゴミ拾いだった。
第1回として呼びかけた2007年5月3日。突然の思いつきと呼びかけだったが、反応は早く、想像以上の広がりで参加表明が届いた。当日の朝、新宿駅前には88人が集まり、全国27カ所で総勢444人の仲間たちがゴミを拾った。
2007年5月3日に第1回を開催して以来、年に一度、「全国でゴミ拾いをする一日」を呼びかけてきた。
組織化するつもりはない。5月3日を一つのきっかけにしてその人なりに参加してもらい、何か思うことがあれば、そこから先は自分なりの活動をしていってほしい。そして、また一年後の5月3日に再開しようというわけだ。
今の時代、mixiやfacebookなどソーシャルメディアを通じて情報が瞬時に伝わる。その分、リアルじゃないつながりの中で、リアルな体験を求める人たちも少なくはない。そんな人たちに、ゴミ拾いという活動がフィットしたのかもしれない。
2010年に10万人の大台に乗った。その中には、スポーツ大会に集まった数万人に呼びかけさせてもらってカウントするというのもあって、それらも含めての総数。ただ、全国の各地で、数十~100人単位でゴミ拾いのために主体的に集まる人たちが参加していて、荒川さんも新宿駅前で150人ほどといっしょにゴミを拾ってきた。参加人数だけではない手ごたえがズシリと感じられている。
2010年、150人が集まった新宿駅前
今後も、「5月3日」という一日にこだわって、100万人のゴミ拾いを続けていきたいと荒川さんは言う。“続けていきたい”という以上に、今となっては簡単にはやめられない、妙な責任感や使命感がある。でもそれは志を同じくする人たちとの心地よい関係性の中で成り立つものだ。
“美を護る”という思いで付けた「護美(ごみ)の日」。そんな語呂合わせではじめたこの日のイベントだが、呼びかけ人の思い入れを超えて、意味なんてよく知らなくても、多くの人たちが当たり前のように「ゴミを拾う日」として認識できるようになっていってほしい──。
「自分を変えたい」と思って始めた活動が、なぜか「世界を変えたい」と新聞に書かれたあの日の取材。いつしか目指している方向は、「人生を変えるきっかけをつかむ人が出てくるためのサポートをしていきたい」だったり、「自然にゴミを拾えるような、そんな社会になってほしい」だったりと、まさにあの日に書かれていた言葉の通りになっていることに気づく。
ただそれは、“世のため・人のため”にはじめたものではなく、“自分を変えたい”という切実な思いから出発して、もがきあがいた結果として出てきたものといえる。自分のために一人ではじめた活動がどんどん広がりをみせている中で、多くの人たちの喜びとして共有できることが、また荒川さん自身の喜びや手ごたえとして返ってきている。これはまさに、やめられない!のもわかる気がする。
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