トップページ > 環境レポート > 第27回「一人の市民や一つの団体・事業所がへらせるCO2は少なくても、すべての市民・事業所の取り組みが集まれば、大きな成果を生む ~ふだん着でCO2をへらそう宣言(日野市環境保全課)」
2013.04.01
かつては甲州街道の「日野宿」が開かれ、農業を中心として繁栄していた日野市。現在の人口は約17万5千人。夜間人口(居住者)に較べて昼間人口は8割ほどに減る、典型的なベッドタウンだ。
市域は、多摩川と浅川という2つの大きな河川によって発達した沖積低地と、河岸段丘により形成された台地や丘陵が広がり、かつては東京の穀倉地帯といわれた。農地やまち並みと一体となって日野市内を流れる水路網は総延長170㎞に及び、180箇所ある湧水とともに、水郷都市・日野の特徴になっている。一方、1970年代以降、住宅開発による人口増加や工業団地の進出と農業の後退などに伴って、丘陵地の緑や田畑の消失が進み、生活排水の流入による水質汚濁などの環境悪化が目立つようになっていた。
1995年に市民の直接請求による「日野市環境基本条例」が制定されたのも、こうした消えゆく緑に対する日野市民の危機感が背景にあった。行政任せの陳情・請願等ではなく、市民もともに汗かいてまちづくりの担い手としての責任を果たしていこうとするものだ。同条例に基づいて、109人の公募市民(市民ワーキングチーム)と公募職員(庁内ワーキングチーム)の協働作業で、「日野市環境基本計画」が白紙の段階からまとめられた。
環境に関する条例を制定する自治体は少なくはないが、直接請求による制定は全国的にもめずらしく、日野市民の環境に対する意識の高さと、それを受け入れて市民との協働による環境保全の取り組みを進める日野市の懐の深さは、大きな注目を集めた。
2000年になると、市では“ごみ改革”に着手。それまでのダストボックス収集方式【1】を改め、指定有料袋による戸別収集方式によって、ごみ発生の責任を明確にしようというものだった。当初は戸惑いや反発の声も聞かれたというが、600回を超える説明会を開催し、市民の理解と協力を求めたのに加えて、基本計画策定に加わった市民たちも説明会に参加し、市を後押しした。結果、一年でごみの量が半減するという大きな成果を得ている。
日野市環境フェアの様子(2013年2月24日)
そんな日野市で2008年から当初は5年間の取り組みとしてスタートしたのが、家庭・事業所から省エネルギーの継続を宣言してもらう『ふだん着でCO2をへらそう宣言』。現在4期目を務める同市の馬場弘融市長が、“ごみ改革”をやり遂げたあとの目玉施策として選挙公約に掲げたものでもある。2013年3月で節目の5年目を迎えたが、事業者や市民団体からなる実行委員会では「ぜひ続けるべき」との意見で合意し、当面2年間の延長が合意されている。
ひらがなの「ふだん」には、肩肘張ることなく、無理せず毎日の暮らしの中で地道に継続していくといった、「普段」と「不断」の両方の意味が込められている。ごみ問題で苦労した過程で、ひとり一人が生活全般を見直さないと地域の環境は保てないとの認識が生じたという。特にCO2の排出削減では、家庭からの排出が課題になっていた。
日野市における2008年度の部門別CO2排出量では、産業部門が約29%と最も多く、家庭部門、運輸部門と続く。ただ1990年度からの増減で見ると、産業・運輸がほぼ横ばいなのに対して、家庭部門が約30%、業務部門が約22%と大幅な増加を示している。しかも、部門別排出量に家庭部門が占める割合は28%になり、全国平均の15%に較べて大きいという特徴もある。
こうした中、一部の意識の高い市民だけでなく、より広く市民全体に呼びかけていく取り組みが必要というのが、『ふだん着でCO2をへらそう宣言』をはじめることになったきっかけだった。
「CO2削減の取り組みは、一部の意識が高い人たちによる取り組みだけでは間に合いません。市民の皆さんが一人ひとりの暮らしの中で地道に積み上げていって、それが日野市全体に広がっていかないと、問題解決にはつながらないからです。ハードルが高すぎると続きませんから、無理なく気軽にできることから始めて、生活の習慣として続けていけるような取り組みとして実施しようというのが、この事業の特徴です」
説明するのは、事務局を務める日野市環境保全課の成澤綾子さんだ。
お話をお聞きした、日野市環境保全課の成澤綾子さん(左)と石坂健一さん(右)。
本事業は、公益財団法人 東京都区市町村振興協会からの助成で実施しております。
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