トップページ > 環境レポート > 第69回「火山との関わりの中で形成された島の地質と生態をガイドする ──伊豆大島ジオパークのエコツアー(グローバルネイチャークラブ)」
2016.02.23
溶岩層の上に根を張る木々。割れ目があったり薄いところがあったりすると根を伸ばして張り出していく。厚いところでは割れずに横に張り出していくだけだから、高く生長すればそれだけ不安定になる。
火口付近の溶岩地帯から、車に乗って、山腹の森が再生しつつあるエリアに移動する。240年前の噴火で広範囲に焼かれた後、ゼロから再生してきた森だ。地元のガイドが“樹海”と呼んでいる常緑の低木が優占するこの森では、山頂付近の溶岩地帯とはまた違った、緑濃い大島の自然を体感することができる。
「ここの森では、イヌツゲとヒサカキが優占して、そこにサクラがちょっと混ざってきています。江戸時代の1777年に始まった噴火によって、ここ一帯はすべて溶岩に覆われました。そのときゼロから始まった森が240年ほど経って再生してきていますので、そんな森の中をちょっとだけ歩いてみたいと思います。木が生い茂っていますが、実は土はほんのわずかしかなくて、溶岩の上に根を張っている様子がよくわかるところです」
整備された幅の広い遊歩道から、森の中の小道に分け入っていくと、そこはまさに原生林の雰囲気ただよう溶岩の森だ。ほとんどの植物が、ゴツゴツした溶岩の上に乗っかって生長しているだけで、浅くしか根が張れていない。
「このあたり、すごくふかふかでいい土があるような感じなんですけど、すぐ下はゴツゴツの溶岩層です。土は本当にちょっとしかないんですよ。ただ、亀裂があったりすると根を伸ばしていけます。うんと厚い溶岩は割れませんが、ちょっとでもひび割れがあると根っこが入り込んでいって割れ目を広げていきます。そうやって根が入り込んでいくと安定するのですが、表面だけだと、ちょっとしたことで浮いたり倒れたりします」
そう話す目の前では、ちょうど倒れかかって、根っこの裏側を見せているサクラの木が横たわっている。
「このサクラの木は、背が高くなりすぎて、強風か何かで倒れたようです。溶岩の上で横にしか根を張れなかったんでしょうね、タコみたいに四方に根を伸ばしています。根っこの裏から覗くと、どこか悲しそうな表情に見えませんか? 倒れたときに根も引きちぎれたと思いますが、まだ少し残っていて、半身で幹を支えています。相当弱っていますが、それでも何とか生きようとしているところが、独特の雰囲気を醸し出します」
倒れかけて、たこ足のように張り出す根っこをみせるサクラの木。
歩きながらも、西谷さんの話は止まらない。森の中には、溶岩や植物だけでなく、動物の痕跡も見られる。木の根元から、色鮮やかな赤い小さな球体がボロボロとこぼれ落ちているのを見つけた西谷さんが大きな声をあげる。
「あ、こんなところにガの幼虫のフンがあります! ゴマフボクトウというガの幼虫で、林業の世界では害虫です。木の幹を食べながら入り込んでいって、孔から丸めたフンを掃き出します。きれい好きなんですね。この木はヒサカキですが、材質が赤味を帯びているためフンも赤くなります。イヌツゲは材色が白いので、白いフンになるんですよ。この木は新しいフンが出ていないようですから、季節的にも中でサナギになっていて、夏に出てくるんじゃないですかね。自然の森では爆発的に増えることはなくて、たまにあった!という程度です」
少し歩いた先の木の根元には、鳥の羽が散乱した捕食跡が見つかった。
「これ、食べられていますね。この間までなかったから最近ですよ。キジバトだと思います。この辺で一番多い種ですし、この茶色っぽい羽根は胸の辺りの羽毛じゃないですかね」
さらに進んだ足元には、なかば干からびて変色したミミズが横たわっている。
「うわーこれなんだろう。ちょっと干からびていますけど、ミミズですね。実は、この辺の下の土を調べてみたら、団粒構造になっていることがわかりました。ちゃんとミミズが食べて、吐き出して、泥団子のような土ができているのです。こんなところにもちゃんとミミズがいるんだと、ちょっと感動的でした。その時におもしろかったのは、泥団子の中に細かい溶岩の粒があったんです。溶岩の粒ごと食べて、フンといっしょに出しているんですね。さすが大島のミミズだなと思いましたね」
ヒサカキの根元にコロコロと小さな赤い球体がこぼれ落ちている。木の幹に入り込んだゴマフボクトウが孔から吐き出したフンだ。ヒサカキは赤みを帯びた木色をしているため、ゴマフボクトウのフンも赤くなるのだという。
森の中、鳥の羽が散らばっていた。まだ真新しい、キジバトが捕食された現場の痕跡だ。
コースの半ば過ぎになって、火口までのぼっていく道と森の入り口に戻るコースの分岐に差し掛かる。火口まではツアーだと約2時間の行程。今回は、外輪山の麓をまわってもとの入り口まで戻る。
「この辺に来ると、あまりゴツゴツの溶岩は見られなくなってきます。この少し奥の方に行くと、炭焼き窯の跡があるらしいんですよ。かつて、島の住民は燃料として使う薪や炭を取るため、この辺りの木を切っていたようです。大島は水捌けがよく米が穫れないので、江戸時代には海水を焚いてつくった塩を年貢として納めていましたから、その燃料として薪や炭が大量に使われたのです。ここのイヌツゲは、ひょろひょろしていて変ですよね。薪炭林として切られたあと、ひこばえした細い木が乱立したようです。イヌツゲはすごく柔らかい木なので、雪の重みでも曲がりますしまわりに細い木が密集しているため、横に太れないでひょろひょろの木に生長したんでしょうね。そんなふうにさまざまな条件が重なって、ちょっと変わったクニャクニャの森ができたようです。“ちぢれラーメンの森”なんて言って紹介しています」
西谷さんが“ちぢれラーメンの森”といって案内している、かつて薪炭材を切っていた、イヌツゲの森。
1986年の噴火では、山腹が割れて吹き出してきた溶岩が流れて、民家まで200メートルのところへ迫った。そのときに流れた溶岩が森を焼いて、黒々としたガラガラ・ゴロゴロの溶岩を露出させた場所がある。植物が生えないままだったが、2013年の大雨で土砂崩れが起きると、幅の半分を泥が覆って、植物が一気に芽生え出した。
「今は冬なのでちょっと枯れていますけど、一面緑になって、びっくりしました。黒いところは、先ほど歩いた溶岩地帯と同じ、ゴツゴツガラガラの溶岩です。こちらの草が生えてきているところが、土砂が流れてきたところです。流れてきた土砂が隙間を埋めたのに加えて、養分のある土っぽい成分が流れてきたことで、植生が回復しているのです」
土砂が埋める前から、対岸の森からは蔓が這い伸びて、徐々に緑のじゅうたんが覆いはじめていた。
「蔓植物が木に登るのをやめて、光を求めて開けた溶岩の上に伸びてきていたんですね。この辺で白い花を咲かせているのは、テイカカズラという蔓だし、とりわけ太いのはサルナシという蔓です。ブドウも生えています。蔓同士で光を求めて争っていたんです。でも、土砂を被って生えてきた草の方が回復は早いと思いますよ」
奥に蔓植物が迫っている緑色、真ん中は黒いゴツゴツ溶岩、手前には泥をかぶって生えてきた植物。
対岸の森から這い出してきている蔓植物。
大きな実をつけるシマヘクソカズラ。太い蔓はサルナシで、奥で葉っぱを付けているのはテイカカズラ。
まさに、生きている火山の島・伊豆大島。地球の活動を実感でき、噴火の中で生き抜く動植物の姿が目の当たりにできる“大地の公園”として、日本ジオパークネットワークへの加盟が認定されたのは、2010年9月のことだった。
島では現在、町や観光協会、民間団体、火山研究者などが協力・連携することで、官民一体となってジオパーク【1】の保全・活用を図ることを目的に、「伊豆大島ジオパーク推進委員会」を組織している。西谷さんもメンバーの一人として、ジオパークの普及啓発やジオパークガイドの養成などに取り組んでいる。
「大島では、エコツアーを観光の柱に定着させるようと2009年春に活動を開始した、大島ネイチャーガイドクラブ(ONC)という組織が、ジオツアーの活動母体になってきました。今年それを解散して、ジオガイド組織に一本化しようと動き始めています。いろんな組織ができると煩雑化してしまいますし、人材養成も必要なので、ジオガイド養成講座を企画して、つい先日、第1回の講習会を開催したところです。4月末までには形にしたいと協議を進めています」
大島がジオパークに認定されて始まった取り組みを通じて、さまざまな気づきや発見もあった。
「ジオパークって人と人をつなげるのがおもしろいですね。島の産業も、たどっていけばもともと水捌けがいい溶岩地質につながります。例えば、島の主産業の一つに椿がありますが、もともと火山ガスに強いため自然に残った椿の木が、今の油製造や観光につながっています。防災でも、火山のことを知らないと安全な暮らしはできません」
2013年10月の台風26号による豪雨で大規模な土砂災害が発生した大島では、その後も雨のたびに崩壊斜面が削られて、下流の民家にも泥水が流れてくる状況が続いていた。斜面の土壌流失を防ぐため、2014年11月に東京都は発芽力の強いマメ科の草やヤシャブシなどの種子の空中散布を行った。散布された種子には外来種も含まれており、やがて島の自然植生に移行すると想定されているものの、一部の住民からは島内の植生に与える影響を懸念する声も聞かれたという。
2015年3月、ジオパーク推進委員会が中心になって、東京農工大学、環境省、東京都大島支庁土木課の協力を得て、崩壊斜面のモニタリング調査を開始。“ありのままの変化を住民みんなで見守り、考え、納得して暮らすことが大切”と、住民からの参加を募って、1~2か月ごとに雨量やその他気象状況、流出土砂量、植生の回復状態の調査を実施している。
樹海の森の中から、崩壊斜面を望む。
土砂が流れた1986年溶岩から望む崩壊斜面。
大島では、噴火が今後も数十年周期で起こるだろう。四方を海に囲まれているから津波も来る。大雨が降れば、土砂災害の危険も避けられない。溶岩が流れてできた地面があってやっと人が住んでいられるからこそ、そこに住む人々が土地の特性に合った暮らしをしていくしかないのだろう。火山の島に住むというのはそういうことだと西谷さんは言う。
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