トップページ > 環境レポート > 第79回「海に囲まれた島国・日本だからこそ、海や魚のことをきちんと知って、かかわる人たちの思いに触れる学習を進めたい(中野区立中野本郷小学校の「ぎょしょく学習」)」
2016.12.26
東京メトロ丸の内線の新中野駅から徒歩5分ほど、商店街を抜けていくと中野区立中野本郷小学校の校舎が見えてくる。登校中の子どもたちといっしょに校門をくぐり、芝生が青々と茂る校庭を横切って校舎に入る。
某月某日、ある土曜日の朝に実施された公開授業に参加するため、保護者に交じって受付で記名し、家庭科教室に向かう。1限目と2限目に4年生2クラスが入れ替わりで「ぎょしょく授業」をするというので見学させていただくためだ。講師を務める愛媛県愛南町(あいなんちょう)水産課の兵頭重徳(ひょうどうしげのり)さんが準備にいそしんでいた。
チャイムが鳴ると、1クラス目の子どもたちが列を作って移動してくる。日直の掛け声に合わせて全員で挨拶をして、授業が開始する。
「皆さん、おはようございます。私、四国の愛媛県、愛南町というところからやってきました。今日は、お魚の話をしたいと思います」
愛南町の位置を赤く塗った四国の地図を指し示しながら、東京から空港のある松山まで飛行機で移動し、そこから車で2時間ほど走ってようやく到着する、中野区と愛南町との位置関係について説明する。
授業の導入はクイズからだ。
「魚の絵があります。これ、愛南町の幼稚園の子どもたちが作ったクイズです。さて、2つの絵のうち、縦縞の魚はどちらでしょう」
胸から尻尾にかけて線が伸びる魚と、背びれ側から腹側に何本か線が入っている魚の絵を見せながら、縦縞・横縞の魚が、それぞれどちらの絵かを当ててもらうというものだ。
兵頭さんからは、「見た感じのままなら問題にならないよな」とヒントが出される。
素直に答えればいいのか、裏を読んだ方がいいのか、子どもたちは頭を悩ませる。
「もう一度言うよ。この問題は愛南町の幼稚園児の問題です。見た感じと違うから問題にしたのです。みんな、言っている意味がわかりましたか?」
1番の魚が横縞だと思う人、2番が横縞だと思う人、とそれぞれ声をかけながら手を挙げてもらう。
「大丈夫ですかね? 全然意味がわかっていない人もいますね。はい、正解を言います。正解はどう見るかというと、私たち人間と同じです。頭を上にして、背中をぴんと伸ばしますから、こう見る。わかりますか? ということは、1番の魚が正解です」
次に取り出したのが、カツオの写真。写真のカツオは、縦縞か横縞か、と問いかける兵頭さんだ。
この日の授業では、前の日に愛南町から届いた新鮮なカツオを、子どもたちが口にする切り身の状態にまで実際に捌いていくもの。まずは、つかみは上々の導入部だった。
四国の南西端にある愛南町。松山空港から車でゆうに2時間はかかる。
愛南町の幼稚園の子どもたちが作ったというクイズ。さすが海辺の町、幼稚園児にしてはリアルな魚の絵だ。
こうして始まった、中野本郷小学校の「ぎょしょく授業」は、愛南町が進める「ぎょしょく教育」を取り入れた形で実施している。
「ぎょしょく」というと魚を食べる「魚食」の普及を意味することが多いが、中野本郷小学校で実践される愛南町発祥の「ぎょしょく教育」があえてひらがなで表記されるのは、それだけではない、より幅の広い取り組みが込められているからだ。授業を終えて子どもたちが教室に戻っていったあとに、兵頭さんから次のような説明があった。
「ぎょしょく学習というのは、魚の生産から消費、さらに生活文化までを含む幅広い内容として、7つの“ぎょしょく”の概念を込めています。触った触感の「魚触」からはじめて、それから漁師さんたちの活動を知るための「魚職」、養殖について知る「魚殖」など、7つの「しょく」をそれぞれの成長過程に合わせて体験することで、最後においしく食べましょうという『魚食』に到達できるように配慮したものです」
校長の橋浦義之(はしうらよしゆき)先生も次のように付け加える。
「例えば、飾るという字がありますね。日本の伝統文化の一つに、今日も黒板に張り出している、この大漁旗があります。これ、実は下にある名前はプレゼントする人の名前なんです。愛南町に対して、この人たちがプレゼントして、がんばってよというものです。大漁旗は人にプレゼントするものなんです。これらも伝統文化です。『魚触』→『魚色』→『魚職』→『魚殖』→『魚飾』→『魚植』という一連の学習プロセスを経て、最後に食べる『魚食』につなげたいということで、町ぐるみでやっているところがおもしろいですね」
黒板に張り出した、大漁旗。“魚飾(ぎょしょく)”として、こうした伝統文化について知るのもねらいの一つだ。
愛媛県愛南町の提唱する「ぎょしょく教育」の7つの概念。
兵頭さんの肩につけたワッペンには、愛南町を象徴する7つのキャラクターをデザインしたイラストが描かれている。
愛南町で自然に獲れるものと養殖しているもの7種類をキャラクター化した7人は、「ぎょしょく普及戦隊 愛南ぎょレンジャー」と名乗っている。最新のデザインでは3人増えて10種類になった。これら新規加入の3人は怖い顔をした“ぎょレンジャー・ダーク”で、それぞれ「タイフーン(台風)」「アカシオン(赤潮)」「ゴミエモン(ごみ)」という名前がついている。
「ダークの登場が、また授業で使える教材になりました。つまり、“台風って本当に悪役?”と話が展開するのです。実は、台風って、海の水温を下げたり、水を入れ替えたりして、海の環境を整える役割を持っている。だから必ずしもマイナスだけではないのです。それは、5年生の子どもたちにぜひ考えさせたいなと思っています。愛南町というのは、そんなふうに町が活性化している地域です」
新旧の「ぎょレンジャー」。愛南町で自然に獲れるものと養殖しているもの7種により構成される旧「ぎょレンジャー」(左)に、今年新たに「タイフーン」「アカシオン」「ゴミエモン」のぎょレンジャー・ダーク3人衆が加入し、10種類に増えた(右)。
中野区の子どもたちの給食を見ていると、「魚を食べない」と橋浦先生は言う。ただ、必ずしも嫌いだからということではなく、給食指導を通じてわかってきたのは、食わず嫌いということ。
「最近は家庭でも魚料理は、高価だったり、手間がかかったり、調理の仕方がわからなかったりと、あまり取り上げられていません。だから、味を知らないし、たまに食べるとしても刺身ばかり、魚本来の形も見たことがないんですね。給食でも丸ごとの魚が出てくることはほとんどありません」
愛南町に行って、現地のイワシ丸干し加工業者と話をしていたところ、愛南町でも丸ごとの魚は“目が怖い”といって食べない子がいるという話が出た。まして、海から遠い東京・中野では、そうした食わず嫌いはさらに顕著になる。
海に面している海洋国である日本として、海や魚とのかかわりを子どもたちには正しく知ってもらいたいと、橋浦先生は話す。
中野区で「ぎょしょく学習」に取り組むことになった最初のきっかけは、給食食材として魚を取り入れたいという、関東給食会に所属する給食納入業者の思いに端を発する。食材として取り入れるためにも、愛南町が取り組む「ぎょしょく教育」を中野区で広められないかと相談があったのが、今から6年ほど前のことだった。
当時、中野区の小学校教諭で構成する社会科研究会の顧問校長の一人として対応した橋浦先生自身も、20年来の魚食学習への思いと工夫があり、それらが重なり合って生まれたのが中野区の「ぎょしょく学習」だった。
25年以上前のことだ。5年生を担任したときに、水産業の学習の中で本物の握りずしを授業の導入にしたことがあったと橋浦先生は話す。
「お寿司屋さんから本物の握り寿司を買ってきて、子どもたちの目の前に並べて、“ここに乗っかっている寿司ダネの水産物は一体どこで獲れたんだろうね”と話したのです。その中に、イワシの握りも入れました。というのは、当時、都内のお寿司屋さんで出されるイワシは東京湾で獲れるものだけだったからです。ところが子どもたちにしたら、“東京湾は汚い”というイメージしかありません。東京湾で獲れた魚が生の刺身になって食べられるなんて想像もしなかったのです」
この驚きをもとに、いったい本当のところはどうなのだろうと、東京湾の漁業者を取り上げたテレビのドキュメンタリー番組を見たり本で調べたりして、漁業に携わっている人たちの想いと、東京湾は汚いという自分たちの固定観念を破る、そんな授業を進めた。
この授業は授業参観で保護者や地域の人たちにも公開で実施したが、さらに印象深かったのは、保護者からも「東京湾で獲れるんですか!」と驚きの声が上がっていたことだった。これは、何とかしなきゃいけないと、その頃から思い始めていた。
そんな経緯もあって、人一倍水産業に対する関心が高かったところで出会った、愛南町の「ぎょしょく教育」だったと橋浦先生はふりかえる。
中野区立中野本郷小学校 学校長の橋浦義之先生(校長室にて)。
愛南町の「ぎょしょく教育」を学習指導要領の中にどう位置付けて教えていけばよいかというのが、この6年間ずっと試行錯誤してきたことだったと橋浦先生は言う。つまり、愛南町の事例と日本の水産業一般とをどう結び付けるかという課題だ。
「愛南町の事例だけに結びつけてしまうと、それは愛南町のことを勉強することになり、日本全体の水産業をトータルとして考えることにはなりません。実を言うと、ある場所のことを調べるという学習は4年生の単元にあって、最初に東京都のことを調べた後、高低差や寒暖差など日本全体の中で特色のあるところについて現地の状況を調べます。ですから、それと全く同じになってしまうわけです。5年生の単元としては、日本の水産業全体をマクロでとらえて、今後の水産業のあり方や日本の水産業全体が抱えている悩みというところにまで広げたい。そんなジレンマがずっとありました」
試行錯誤しながらも、愛南町からのゲストティーチャーを受け入れて実施してきた「ぎょしょく学習」で、あるとき鯛の養殖業の方に話をしてもらった際のできごとが、一つのターニングポイントになった。
「授業を終えて、その方が愛南町にお帰りになった直後に台風がきたのです。子どもたちは学習後に毎回、自分たちの学習の報告とお礼の手紙を書いていますが、そのときは3分の1ほどの子どもたちが、台風による養殖設備の被害などを心配する、お見舞いの言葉から書き始めていました。これはぼくにとっては衝撃的でした」
子どもたちの多くが愛南町の場所を意識していたからこそ、台風の通過と結び付けて見舞いの言葉が自然と出た。現地の人に語ってもらった思いに対して、子どもたちも自分たちなりのイメージをもって聞くことができていたことを意味する。
養殖業者からのお返しのメールでは、子どもたちのお見舞いの言葉が本当にうれしく、東京に行った価値があったと書かれていた。同時に、この環境の中で仕事ができている自然の恩恵への思いや海を守るための取り組みについてもっと話すべきだったという悔恨の言葉もあった。養殖業の苦労話に重点を置き過ぎてしまったというわけだ。
今年の夏、橋浦先生は同校の栄養士さんや他校の校長先生と連れ立って愛南町を訪ねた。すでに通算10回目になる。今回は、沖にある養殖場まで船を出してもらい、実際に餌をあげている様子を見学した。
「今回の視察で私にとって一番勉強になって、授業でも使えると思っているのは、餌の成分のお話でした。この方の飼料は魚粉をほとんど使っていないそうなんです。なぜかというと、愛南の海で獲れたイワシだけでなく、日本中のいろいろなところのイワシが混ざるからです。イワシは近海魚なので、場合によったら海底のヘドロなど汚染されたものをかなり食べていて、お腹の中に蓄積されているかもしれない。それを毎日毎日大量に投下していけば、自分たちの作っている養殖の鯛にも必ず影響が出てくるはずで、それは絶対にしたくないというのです」
そこで、飼料会社に依頼して、魚粉の成分を細かく分析し、同じような成分になるように配合した植物性の飼料を特注でつくってもらった。それを与えることで、養殖魚の中に汚染物が蓄積されないように配慮している。そんな取り組みが、授業の中で食の安全や環境について考える教材として使えるというわけだ。
養殖場から出荷のために搬送する方法についても授業で取り上げている。養殖鯛を出荷するときは、養殖生簀(ようしょくいけす)の網ごとゆっくりと、船で往路30分ほどの距離を6時間ほどかけて移動させる。潮の流れが変わると、船は進んでいるのに沖に流されて全然進まないこともある。でもそうしないといけない理由はなんだろうかと、子どもたちに問いかけ、考えさせる。
「網の移動速度は、1ノットほど(時速約1.852キロ)しか出さないそうです。子どもたちが今まで習ってきたことをもとにして考えると、速度が速くなると、網の勢いについていけない魚が擦れ合って傷ついてしまうことが想像できます。だからこそ、傷をつけないようにゆっくりと運ぶことで、いいものを食べてもらいたいという養殖業者さんの願いがあるのです。もう一つには、そうしないと経済的な価値が下がってしまうということもあります。そこもやっぱり触れないといけない部分です」
こうした愛南町の事例を通して、海への思いや養殖の工夫を知ることになる。そんな経験が、中学生になったときに、同じような課題のなかでそれぞれの取り組みをしている日本全国の工夫や苦労を知ることにもつながっていく。
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