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2012.06.14

第9回植物の多様性への関心―私たちを取り巻く最近の話題

大場 秀章氏顔写真

大場 秀章(おおば ひであき)

1943年7月東京生まれ。東京農業大学農学部卒業。東北大学理学部助手、東京大学理学部講師などを経て東京大学総合研究博物館教授。東京大学名誉教授。植物多様性文化研究室主宰。植物の分類と多様性、植物学史、植物文化史を研究。著書に「森を読む」、「ヒマラヤを越えた花々」、「大場秀章著作選集」などがある。

 食料や衣料、建材や薬剤など、生活の必需品には多くの植物が利用されています。それらの植物も元は野生で生えていたものです。豊かで潤いある生活は、多様な野生植物があってはじめて保証されるのです。東京を含む日本は、野生植物の多様性に富むものの、絶滅の危機に瀕する状況が増える一方で、多様性を護る動きも始まっています。

東京の自然の現状

タニヘゴ(おし葉標本のものです)

タニヘゴ(おし葉標本のものです)
東京都区部での絶滅が心配されるシダ類タニヘゴ(Dryopteris tokyoensis)。標本は1885年5月に道灌山下でT. Nagasawaによって採集された。標本は国立科学博物館に保管されている。
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 東京の郊外に位置する高尾山には1000種を超す植物が生育し、それらが織りなす山肌の緑は変化に富み、訪れた人たちに愛されています。このように植物の多様性が高い地域が、1千万都市の東京にあることを欧米の研究者に話すととても驚かれます。
  幕末の1860年に園芸資源を探しに来日したイギリスのフォーチュンは著書で、当時の東京、江戸を「城に近い丘から展望した風景は、ヨーロッパや諸外国のどの都市と比較しても、優るとも決して劣りはしないだろう。それらの谷間や樹木の茂る丘、亭々とした木々で縁取られた静かな道や常緑樹の生垣などの美しさは、世界のどこの都市も及ばないであろう。」と書いています。
 それから150年過ぎた2011年に東京都は、『東京都の保護上重要な野生生物種(本土部)』を公表しました。これは1998年に発表した報告書の改定版にあたります。アズマギクなど、1500以上の動植物の種が絶滅の危機に瀕している様相が浮き彫りにされ、都民への野生生物保全への呼び掛けがなされたのです。
 多数の動植物を危機に追いやっている最大の原因が、生育場所の減少にあるのは想像に難くないでしょう。150年前にフォーチュンが眺めた東京の景色は一変し、わずかに片鱗を止める緑地さえ点在する状況になっているのです。
 これ以上絶滅種を増やさないためにも、最初に紹介した高尾山などで、伐採をともなうような開発は止め、現存する緑地を減らさないことが重要だと私は考えています。

「ネパール植物誌」に向けた協力

 日本人もよく訪れるネパールは、ヒマラヤの中央に位置し、本州の2/3ほどの面積しかない小国です。しかし、中国との国境周辺には世界最高峰のエヴェレストをはじめ、8千メートル級の山々が林立し、大きな高度差を反映し6200種の植物が見出されています。その数は日本に産する植物の種数とほぼ同じですが、面積ではネパールの1.7倍のイギリスに産する種数は1500に過ぎません。
 生物の多様性がとくに高いにもかかわらず、危機に瀕している地域をホットスポットといい、その多様性の保全に関心が集まっています。東ヒマラヤもそうしたホットスポットのひとつであり、多くの国々や国際機関がネパールでの多様性保全に取り組んでいます。
 そのひとつが「ネパール植物誌」の出版です。植物誌とは国や地域ごとに産する植物全種を網羅し、解説・図解し、種の区別点などを記した地域多様性の基礎となる出版物です。世界の大半の国で植物誌が出版されていますが、これまでネパールにはなかったのです。
 出版が遅延していた大きな理由は、国土の急峻さも相まっての調査不足と同国での研究者不足です。1993年に横浜で開かれた国際植物科学会議で、イギリスやアメリカ合衆国、日本などが協力し、植物誌編纂プロジェクトを進めることを決めました。
 その後、1999年にイギリスの王立エディンバラ植物園長のブラックモア博士、ネパールの国立科学技術アカデミー副総裁のバジャルチャリア博士と私が監修者となり、全10巻からなる植物誌の概要と出版計画を決めた覚書が取り交わされ、2011年にようやく最初の巻となる第3巻が出版されました。

ネパール植物誌(Flora of Nepal)第3巻(表紙)

ネパール植物誌(Flora of Nepal)第3巻(表紙)。
日本、イギリス、ネパールの分類学者が中心となり編纂した、ネパール最初の植物誌。
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 出版されたネパール植物誌は好評で、続刊の迅速なる出版が各方面から要望されています。こうした状況を受け、先月に箱根でその編集委員会が開かれました。今後3年間に3巻(4、7、10巻)を出版することが確認され、出版にむけた問題点が討議されました。

 「ネパール植物誌」の刊行には日本の多くの研究者が協力しており、その編集企画から実際の執筆まで、日本人が主体的に係った最初の国レベルの植物誌です。こうしたプロジェクトに参画できたのは、太平洋戦争後、日本人研究者がいちはやくネパールで学術調査を開始し、研究を蓄積し交流を深めたからでしょう。日本は、小さな生物多様性大国のネパールから強く期待されているのです。

第12回国際ヘリテージローズ会議

 野生植物は人類誕生以来、生活資源として人類の生存を支えてきたとはいえ、はかり知れない数が無秩序な乱伐や耕地化などのために絶滅したと推定されています。その中で、人類は植物を様々に改良して利用することを習得し、人工的に繁殖させることにも成功しました。異種の交配も行われ、自然界には存在しない植物も多数作出されています。
 植物の多様な遺伝子の保全の主な対象は野生植物ですが、古来園芸家らによって作出された栽培植物のなかには今日の技術を駆使しても容易に再生できないものが少なくありません。それらは、新しい栽培品種を作出するときの交配親にもなっています。潤いある暮らしを求めて、園芸植物の栽培品種数の増加はうなぎ登りですが、新しい栽培品種の作出には大きな遺伝子プールが欠かせません。
 花の女王として世界で広く栽培されるバラ(バラ科バラ属)については、古くから選抜や交配によって自然界に存在しない品種が作出され、観賞用や香料として利用されてきました。国際バラ会議が中心となり、人類の遺産として後世に伝えるべきバラと古くから愛されてきたオールド・ガーデン・ローズ、そして世界の野生種の保護を進めています。本年5月に千葉県の佐倉市で、第12回国際ヘリテージローズ会議が開催されました。ヘリテージローズとは、人類の遺産として後世に伝えるべきバラという意味です。
 会議のあい間には、サンショウバラの自生地の見学なども行われました。サンショウバラは、日本の固有種で富士・箱根などの身近なところが原産です。ヘリテージローズの保全は、産業上も私たちの潤いある暮らしの維持のためにも重要なのです。この機会に、野生植物の多様性の維持とともに、栽培植物の遺伝子資源の保護も重要なことが再確認されました。

写真:フランス・リヨン市植物園のヘリテージ・ローズ・ガーデンに育つサンショウバラ(Rosa hirtula)

フランス・リヨン市植物園のヘリテージ・ローズ・ガーデンに育つサンショウバラ(Rosa hirtula)。
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 植物をはじめとする多様な野生生物の存在は、私たち人類の生活に潤いをもたらす源泉です。将来をも視野に入れ、生物多様性への関心を高め、保全に向けた多様な活動が活発化されることが期待されています。


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