トップページ > エコアカデミー一覧 > 第13回 釜石市のスマートコミュニティ構想
2012.09.19
佐々 隆裕(ささ たかひろ)
釜石市 産業振興部 次長 兼 企業立地課長
1973年に釜石市入庁後、国民健康保険、税務、人事などの管理部門を経て、1997年より企画、企業誘致部門へ、海洋バイオ、バイオエタノール、コバルト・クロム・モリブデン合金などの研究開発、釜石エコタウン事業のプロデュース、再生可能エネルギー事業のプロデュース(風力、木質バイオマス)土地利用計画、スマートコミュニティ事業のプロデュースなどを行なう。
3.11の東日本大震災の際には、世界各国、日本全国の方々から多大なるご支援をいただき、本当にありがとうございました。私自身も被災し、仮設住宅での生活を余儀なくされております。近所のおばあちゃん曰く「日本ってなんて素晴らしい国なんでしょう。着のみ着のままで避難した私がこうして普通の生活が送れるなんて、感謝しても感謝しきれないよ」とのこと。
震災から1年半を迎えようとしていますが、避難所生活では数週間にわたる電気のない生活、暗闇での度重なる余震の恐怖。災害に強いまちづくりの必要性を痛感したものでした。
3.11は、小雪が舞う肌寒い日でした。地震の後の大津波で被災した市民は、釜石の市街地の北の端にある市役所から数十メートル先の旧釜石小学校、旧釜石第一中学校になだれ込み、中学校の体育館は満杯。あふれた大半の市民は校庭に集まり、がれきを燃やして暖をとる状況でした。市役所も数十台の庁用車、防災機器のほとんどが流失し、行政機関としての機能も失われていた状況でした。
震災2日後、市内の被災状況の調査にも徒歩で向かい、想像をはるかに超える状況に愕然としたものです。自宅のある地域に足を踏み入れたときです、自宅は高台にあるものの跡形もなく、近くの避難場所も完全に浸水しており、両親は波にのまれたものと覚悟したところでした。瓦礫の間から、背を丸めて、肩にタオルをかけた老人がこちらに近づいてきます。顔を上げて、白い歯を見せています。親父でした。「おう!」と手を上げて、「いや、立派な波だった、あれじゃしょうがねえな」突拍子もない親父の言葉に、不謹慎ではありますが、二人で大笑いをしてしまいました。60年を越える漁師としての親父の開き直りの言葉、物なんかどうでもいい、生きていてくれればと思う自分の安堵感から場にそぐわない大笑いでした。
地震の後、家から避難することを嫌がる母を連れて、避難場所ではない山の中腹に避難したと聞き、漁師の「勘」というものを改めて感じたところです。
結果、釜石市においては、死亡者数889人 行方不明者157人 被災家屋数4,614戸(市内全家屋の29%)の大災害となりました。
当市は、4つの湾からなっており、沿岸域は、100戸の集落から数千戸の集落まで大小21の地域が今回の震災で被災しております。全く集落そのものが無くなった地域もあります。計画は、高さ14.5mという長大な防潮堤と高台移転がその中心をなすものですが、北上山系の東端となる当地域では、岩盤質の山が多く高台への用地確保は容易なものではありません。また、当市は多くの津波災害を経験しています。明治29年の「三陸大津波」、昭和8年の「三陸津波」、さらには昭和35年の「チリ地震津波」です。過去の津波と今回の津波被害との大きな違いは、高度経済成長に向かう伸び盛りの時代に起きた災害と現代の高齢化(釜石市高齢化率33.5%)が進んでいる成熟社会に起きた災害という点では、大きく異なるものと考えます。計画は、過去の災害の復興計画に学んだものとなっておりますが、さらに高齢化社会への対応という新たな施策の展開が望まれております。災害の有る無しにかかわらず、人口が減少し、高齢化が進む現代では、これまで経験したことのない時代に突入しており、行政施策も当然新たな視点に立った、高齢者を置き去りにすることのない、安心安全な地域社会の構築を目指す施策展開が望まれているものと考えます。
スマートコミュニティとは、電力や交通、情報などの社会基盤を「統合的に管理しよう」「効率よく使おう」といった、新しいまちづくりの概念です。
今回の震災での経験を新たなまちづくりの中に活かそう、そして災害に強い街をつくろう、というのが当市のスマートコミュニティに取り組む最大の理由でした。
当市は、震災前から再生可能エネルギーの可能性を展望しており、水力発電所、揚水発電、さらには風力発電所が稼働し、新たな計画では木質バイオマス発電も計画しておりました。したがって、震災後の再生可能エネルギーとのベストミックスによるスマートコミュニティの計画は、全く一からのスタートではなく、既存の技術を活かしたまちづくりと言えます。
しかしながら、スマートコミュニティと言っても、その範囲は多岐にわたることから、当面、当市としては電気エネルギーに特化した取り組みから始めることとしたところです。
取り組みとしては、まずは防災拠点エリアでの独立電源によるエネルギーの確保、災害復興公営住宅への太陽光と蓄電池による再生可能エネルギーの導入、浸水地域には、発電設備を備えたコージェネレーションによるエネルギー独立型の企業の誘致等、実現可能な事業から実施していこうと考えております。
中でも、浸水地域に誘致が決まった企業の展開は、植物工場やバイオマスボイラーの製造を柱としていることから、幅広い年齢層の雇用が期待されることや浸水地域の活用という点で、新たなまちづくりを図る上でモデルとなりうるものと期待しております。
震災後1年半を経過しようとしております。震災直後は、大きく破壊されたわが町の現状を目の当たりにして、市職員である自分は、何をしたらいいのか、どう対応すべきなのか、胸の内ではただオロオロするばかりでした。
また、それに加えて「瓦礫の撤去はいつできる?」「仮設住宅にはいつ入れる?」「復興計画はいつ完成し、土地利用はどのように?」「市役所は何をしている?」市民から罵倒される日々が続きました。
しかし市民と対峙する中で見えてきたものが一つあります。それは、「普通の生活に戻りたい」という気持ちでした。「幸せ」とは、特別なものではなく、地に足のついた「普通の生活の中にある」と改めて知りました。
老いも若きも、健常者も障がい者も、「普通の生活」が送れる施策を、前例にとらわれず展開していくことが求められているものと考えております。
復興計画の中の一コマで、私達はスマートコミュニティという大それたテーマに取り組んでおりますが、被災した市民が、豊かとは言えないまでも、今までより少しでも快適な、そして「希望」の持てる生活を送れるよう、積極的に取り組んで参りたいと思っております。
本事業は、公益財団法人 東京都区市町村振興協会からの助成で実施しております。
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