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2013.09.10

第25回都市における水辺環境の保全と管理を考える

大久保 智弘氏顔写真

小倉 紀雄(おぐら のりお)

 1940年3月東京都生まれ。東京都立大学大学院修了、理学博士。1967年東京都立大学助手、1974年東京農工大学助教授を経て、1985年教授。2003年東京農工大学名誉教授。2009年日野市環境情報センター長。河川・湧水などの水質・水量など水環境保全の調査研究。市民による水質調査の推進、市民環境科学の提唱。著書に「水質調査法」、「調べる・身近な水」、「市民環境科学への招待」など。

 かつて東京では網の目のように水路が張り巡らされていました。都市における水路は田を潤し、生き物の生息の場や子どもたちの遊びの場として、またヒートアイランド現象を緩和するなど多くの機能を持っていました。しかし、都市化とともに水源となる湧水の減少や埋立・暗渠(あんきょ)化などにより、まちなかを流れる水路は減少してしまいました。都市を潤す水辺環境の保全と管理がこれからの大きな課題です。これらについて考えてみましょう。

1 かつての水辺環境は

図1:葛飾北斎「隠田の水車」(出典: ウィキメディア・コモンズ)

図1:葛飾北斎「隠田の水車(おんでんのすいしゃ)」(出典: ウィキメディア・コモンズ)

図2:春の小川の舞台となった河骨川周辺の風景(提供:渋谷区白根記念郷土文化館)

図2:春の小川の舞台となった河骨川周辺の風景(提供:渋谷区白根記念郷土文化館)

 現在、多くの人たちで賑わう原宿や渋谷周辺は江戸時代には田園地帯であり、水路(渋谷川)にはいくつかの水車がありました。図1は葛飾北斎の富嶽三十六景の一景である「隠田の水車(おんでんのすいしゃ)」です。この浮世絵には水車からあふれる豊かな水、雄大な富士山が描かれ、また粉を挽くために穀物の入った袋を担ぐ男性たちや、川で洗濯をする女性たちの生き生きした姿も描かれています。
 今から100年前の1912年に発表された文部省唱歌「春の小川」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)の舞台となったのは渋谷川支流の河骨川(こうほねがわ)といわれています。岸辺にはすみれやれんげの花が咲き、小川にはえび、めだかや小ぶなの群れが泳いでいたと詠われています。このような小川で子どもたちが泳ぎ、遊んでいる様子は大変すてきな光景だったと想像できます。明治30年代の周辺の風景を図2に示します。100年経った現在ではかつての田園風景の面影は全く見られなくなりました。水路は埋め立てられ道路になり(図3)、また水路に蓋がかけられ下水が流れるようになってしまいました。しかし、「春の小川」を再生するための活動も始まっていますので期待したいと思います。

図3:道路として利用されている河道跡(都市水路検討会資料、2005年)

図3:道路として利用されている河道跡(都市水路検討会資料、2005年)

2 市民と行政の協働による水辺環境の保全と修復の実施

 市民と行政は対立の時代から、協働して水辺や雑木林などの身近な環境の保全・修復活動を行うようになりました。そのきっかけになった活動の一つは多摩東京移管百周年記念事業であるTAMAらいふ21の活動です。TAMAらいふ21のそのテーマプログラムの一つに「多摩の湧水・崖線の保全」があり、そのプログラムを推進するため湧水・崖線研究会が設置されて、市民と行政関係者の協働により調査研究活動が行われました。この研究会の提言に「みずとみどり研究会」の設置があり、事業終了後の1994年4月に研究会が発足しました。2014年3月には設立20周年を迎えます。研究会には市民や行政関係者など立場が異なる人たちが参加していますので、さまざまな意見が交換されますが、最終的に合意形成をはかることを目指していました。そのために表1に示す3つの原則・7つのルールを定めました。これは立場の異なる人たちの間の話し合いの場における基本的な原則として、しばしば利用されています。

表1:3つの原則・7つのルール(みずとみどり研究会、1994年)
3つの原則 7つのルール
Ⅰ 自由な発言 1)参加者の見解は、所属団体の公的見解としない
2)特定個人・団体のつるしあげは行わない
Ⅱ 徹底した議論 3)議論はフェアプレイの精神で行う
4)議論を進めるに当たっては、実証的なデータを尊重する
Ⅲ 合意の形成 5)問題の所在を明確にしたうえで、合意をめざす
6)現在係争中の問題は、客観的な立場で事例として取り扱う
7)プログラムづくりに当たっては、長期的に取り扱うものおよび短期的に取り扱うものを区分し、実現可能な提言を目指す

3 身近な水環境の全国一斉調査の推進

 みずとみどり研究会の主要な活動の一つである身近な川の一斉調査は、多摩川、野川、浅川など多摩川水系で1989年に始まり、2013年6月に24回目の調査を実施しました。この活動が全国に発展し、2004年に身近な水環境の全国一斉調査が行われるようになりました。全国一斉調査は市民と国土交通省の連携により実施され、9回目の2012年には全国で5600地点ほどで調査が実施され、結果は水質マップとしてまとめられています。このような活動は高く評価され、2012年に日本水大賞の国土交通大臣賞を受賞しています。
 多摩川支流の浅川流域の水質マップの例を図4に示します。測定項目はCOD(化学的酸素要求量)で、簡易法で測定されるため子どもたちにも参加できます。水質調査の際には、調査地点周辺の水辺の様子や水量の状況について観察も行われ、有用な情報が得られています。浅川流域では水質マップの情報が活用され、下水道の整備が進み水質が良好になってきています。

図4:浅川流域水質マップ(浅川流域市民フォーラム、2013年)

図4:浅川流域水質マップ(浅川流域市民フォーラム、2013年)

4 日野市における水辺環境の保全と修復の事例

図5:整備前の向島用水(写真提供:日野市緑と清流課)

図5:整備前の向島用水(写真提供:日野市緑と清流課)

図6:整備後の向島用水親水路(ビオトープ)(写真提供:日野市緑と清流課)

図6:整備後の向島用水親水路(ビオトープ)(写真提供:日野市緑と清流課)

 東京都日野市には多摩川、浅川という一級河川をはじめ、総延長116kmにもおよぶ用水が流れています。これらの水辺と一体となった田園風景はかつて東京の穀倉地帯と呼ばれていました。しかし、1950年代後半からの人口増加により、農地や水路が埋め立てられ減少し、宅地造成が進みました。このように都市化が進むなか、1975年に「公共水域の流水の浄化に関する条例」(清流条例)が施行され、用水路に年間を通して水を流すようになりました。水路に水が常に流れていることは環境面や防災面でも重要で、子どもたちの遊び場としても利用されています。
 浅川から取水されている向島用水はかつて管理の容易さのためにコンクリート護岸で固められた農業用水路でしたが、1992~1995年に周辺の環境や生態系に配慮し、人びとに潤いと安らぎを与える親水路として整備されました。親水路の上流に作られたビオトープは潤徳小学校の敷地内に用水を引き込んでつくられ、子どもたちの環境学習の場として利用されています。整備前後の写真を図5,6に示します。親水路の下流には水車も復元されました。用水の管理は市・用水組合・市民・学校の協力で行われています。生き物にやさしい水辺づくりを進める中で市民の協力もあり、日野市は1995年に国土庁(現在は国土交通省)より「水の郷」に選定されました。

5 これからの都市における水辺環境を考える

図7:真姿の池湧水(全国名水百選および都名湧水57選の一つに選定されています)

図7:真姿の池湧水(全国名水百選および都名湧水57選の一つに選定されています)

 都市の河川や用水の重要な水源の一つは湧水です。環境省は全国に存在する清澄な水について、良好な水環境を保護することを目的に1985年に100か所の名水(名水百選)を選定しました。その中で湧水は3/4以上を占めています。また東京都は東京の湧水を対象に「名湧水57選」を2003年に選定しました。都市における代表的な湧水である真姿の池湧水(東京都国分寺市)を図7に示します。ここには多くの人たちが散策に訪れ、ペットボトルに水を汲む人たちも見られます。
 湧水は古くから人びとに利用されてきましたが、近年は都市化とともにその水量は減少し、枯渇しています。都市において失われつつある湧水を回復させるためには周辺の緑地を保全し、雨水を地下に浸透させることが重要です。東京都小金井市では市民や事業者の協力により雨水浸透ますの設置を積極的に進め、その設置数は2013年3月末で約65,700個(設置率:57.6%)に達しています。
 これからの都市における水辺環境のあり方として、暗渠化された水路を元のような水辺に戻し、水源となる湧水や下水処理水を有効に利用することが重要です。私たちに潤いと安らぎを与えてくれる水辺環境が適切に保全・管理されることを期待しています。


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