トップページ > エコアカデミー一覧 > 第60回 東京湾における環境の変化と生物相の変遷
2016.08.23
堀口 敏宏(ほりぐち としひろ)
首都圏を後背地に持つ東京湾。これまでにも埋め立てや開発など、さまざまな人間活動の影響を被り、その環境は大きく変化してきました。その間、そこに棲息する生き物たち(主として魚介類)は、どのような変遷を辿ってきたでしょうか。また、近年、東京湾の水質の改善が指摘されることもありますが、果たして、生物相の改善はみられるでしょうか。漁業とは独立した“試験底曳き”調査と環境調査を組み合わせた「東京湾20定点調査」の結果を基に、1977年から2015年までの東京湾における底棲魚介類群集の変遷をご紹介します。
東京湾は、かつて江戸前と呼ばれ、干潟や藻場が発達し、浄化作用とともに生物生産性が高い海域でした。1908年(明治41年)発行の「東京湾漁場図」から、船橋~京浜側にニラ藻(コアマモ)場、そのすぐ沖にアジ藻(アマモ)場が発達していたこと、千葉側には広大な干潟が広がり、アサリ、バカガイ、シオフキなどの二枚貝の漁場となっていたこと、さらに湾全域に打瀬網や桁網、流網などのさまざまな漁場が形成され、エビ類、イカ類、アカガイ、サワラ、タイ類、キス、ムツ、ダツ、サメなどが獲れたこと、などが読み取れます(http://nrifs.fra.affrc.go.jp/book/D_archives/2009DA001.html)。このように、東京湾ではノリ養殖のほか、アサリ、ハマグリなどの採貝、旋網(まきあみ)や底曳網などの各種漁業が活発に行われていました。
しかし、第二次世界大戦後の1950年代後半から、とりわけ高度経済成長期の1960年代以降、沿岸の埋め立てが進み、工場廃水や生活排水の流入量が増大して、1970年代前半まで水質汚濁が著しく進行しました。また富栄養化が進んだ結果、赤潮が多発し、夏季には湾奥~湾央で貧酸素水塊が頻発するようになりました。水産用水基準(2000年版)では、外海よりも劣悪な条件に見舞われる夏季の内湾漁場の望ましい溶存酸素濃度を4.3ml/L以上としていますが、それを大幅に下回る貧酸素水塊(溶存酸素濃度が0.025~2.5ml/Lの水塊は貧酸素水塊、0~0.025ml/Lは無酸素水塊と呼ばれています)の発生が、東京湾では概ね6月から10月までの間に確認されています。こうした人間活動に由来する水環境の悪化が、そこに棲息する生物に様々な影響を与えていると考えられています。実際、1965年から2000年までの漁獲統計にそれを反映したであろう変化がうかがえます。すなわち、1960年代半ばには漁獲量が10万トンを超えていましたが、1970年代前半には4万トンにまで急激に減少し、1980年代後半には4万トンを下回る水準となりました。さらに、2000年には2万トンにまで低下しています。漁具効率の変化や漁家の減少を考慮しても、漁獲量の減少は明らかで、水揚げされる種数の減少など漁獲銘柄の変化もみられます。
とはいえ、漁獲統計の解析のみでは知ることができない情報もあります。例えば、漁獲対象ではない種の棲息密度や漁場ではない水域における魚介類の分布、などです。これらは、食う-食われるなどの種間関係を通じて、漁獲対象種の棲息量の増減に関係している可能性があります。東京湾における底棲魚介類群集の動態を詳しく知るために、東京大学農学部水産学第一講座の清水 誠先生(現在は名誉教授)が1977年に東京湾20定点調査を開始され、以後、清水先生が停年退官される直前の1995年まで続きました。この間、年に2~7回、合計75回の調査が行われました。東京湾20定点調査は、東京湾内湾部(神奈川県の観音崎と千葉県の富津岬とを結ぶ線以北の水域)に設けた20定点(図1)において、神奈川県の横浜市漁業協同組合柴支所に所属する5トンの小型底曳網漁船により行う試験底曳き調査です。そこで使用される網は、普段の操業に使われているものと同じで、網口の高さ60cm、幅5.5m、網目5cm、魚捕り部の網目3cmのビームトロール*1です。曳網速度は2ノット、曳網時間は着底から10分間とし、漁獲物から魚類、甲殻類(エビ・カニ類やシャコ)、軟体動物(イカ・タコ類と貝類)及びウニ類を選び出し、種別の個体数と重量を記録して解析します。
図1 東京湾20定点調査における定点図(左)と小型底曳網漁船による調査風景(右)
(写真撮影:大東正巳)
*1 ビームトロームとは、海底面すれすれを引っ張ることで海底にいる生き物を全部採集するサンプリング方法
清水誠先生が退官されてから、東京湾20定点調査は行われなくなりましたが、国立環境研究所が、全く同じ地点・方法により、2002年12月から東京湾20定点調査を再開し、現在に至っています。原則として年4回(春:5月,夏:8月,秋:11月,冬:2月)、横浜市漁業協同組合柴支所所属の小型底曳網漁船による試験底曳き調査とともに、千葉県漁業協同組合連合会の指導船である北曳丸と南曳丸による水・底質調査も同時に行っています。2010年から植物プランクトンと大型動物プランクトンの採集を、また、2011年からマクロベントスとメイオベントス*2の採集も始めました。現在、東京湾20定点調査は、水・底質のほか、プランクトン、ベントス及び底棲魚介類の各試料を季節毎に採取/採集する包括的な環境調査として続けられています(図2)。
図2 東京湾における水質試料(左)と底質及びベントス試料(右)の採取/採集風景
(写真撮影:大東正巳)
*2 ベントスとは底生生物のこと。0.1<0.5mmをメイトベントス、0.5<1.0mmをマクロベントスという。
1977年~1995年の清水誠先生によるデータもお借りして、東京湾における底棲魚介類の種組成と生物量(単位努力量当りの漁獲量(CPUE:ここでは1曳網当りの漁獲量)として)の経年変化をみると、次のことがわかりました。すなわち、1977年から1980年代にかけて個体数CPUEも重量CPUEも増大し、東京湾の生物相が回復してきたかにみえます。しかし、1987年にピークを迎えた後、1989年までに個体数CPUEが1/8ほどに急減し、重量CPUEも1/2程度に減少しました。1990年代は、個体数CPUEも重量CPUEも低水準のまま、ほぼ横ばいで推移しました。2002年12月に国立環境研究所が東京湾20定点調査を再開した後、個体数CPUEは1990年代と同レベルの低水準でしたが、重量CPUEが1987年のピーク時の値に匹敵するほど増えたことが明らかになりました。これは、サメ・エイ類(
さらに2010年以降、コベルトフネガイ(二枚貝)の急増により、個体数CPUEも重量CPUEも高水準となり、東京湾における底棲魚介類群集の質的及び量的な変化が顕著となっています(図3)。しかし、コベルトフネガイを除くと、個体数CPUEは1990年代と同程度の低水準のままであり、重量CPUEは大型魚類の寄与により高水準が続いています。つまり、シャコやマコガレイなどの漁獲対象種は低水準のまま、漁獲対象とならないサメ・エイ類やコベルトフネガイなどの特定の種が高水準で推移している、ということです。なお、コベルトフネガイは2009年級群が卓越年級群とみられ、木更津沖で多獲されるのみでしたが、2014年に相当量の当歳群が観察され、また、2015年には市原沖でも採集されました。東京湾におけるコベルトフネガイの再生産(繁殖)と分布域拡大の可能性があります。
図3 東京湾20定点調査(1977年~2015年)における個体数CPUE(左)と重量CPUE(右)の上位10種
2000年代(実質的に1995年)までの個体数CPUEは、シャコ、ハタタテヌメリ、マコガレイという中小型魚介類(黄色のカラム)が上位を占めており、これらは重量CPUEでも上位にありました。しかし、2000年代以降、個体数CPUEの上位からシャコ、ハタタテヌメリ、マコガレイという中小型魚介類(黄色のカラム)が陥落し、重量CPUEではサメ・エイ類とスズキという大型魚類(水色のカラム)が上位を占めるようになりました。2010年以降、コベルトフネガイ(草色のカラム)が個体数CPUEと重量CPUEの上位を占める種として新たに登場しました。
首都圏を後背地に持つ東京湾では、さまざまな人間活動の影響をこれまでに被ってきましたが、2020年の東京五輪を控え、今後もそうした状況が継続するとみられます。東京湾の水質が改善しつつあるとの報道が一部にありますが、魚介類の棲息状況をみると、上述したように、生物相が単純化しつつあり、事態は逆に悪化しているようにみえます。この傾向にいかに歯止めをかけるか、が喫緊の課題です。
一方、近々、底層溶存酸素量に関する新規環境基準が環境省により設定・導入される予定であることから、同環境基準導入後の底層環境の改善やそれに対する底棲魚介類群集の応答にも注目する必要があります。そのため、今後も引き続き、東京湾20定点調査を継続し、東京湾の環境の変化と底棲魚介類群集の質的及び量的変動を追跡し、水・底質環境と生物群集との関連性の解析を一層進展させる必要があります。
私たちは、調査結果を政策等に反映させて、結果として東京湾の環境と生物相がかつての(例えば、高度経済成長が始まる前の1950年代半ば頃の)ような、豊かな状態に改善されることが究極の目標であると考えています。少なくとも、その道筋をつけねばならないと考えていますが、そのために為すべき課題は山積しています。
参考文献(私たちの研究室から、主として東京湾に関連して公表された論文等のリスト:ご関心のある方は合わせてご覧ください。)
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