トップページ > 環境レポート > 第2回「都心のまつりでビオトープ・ワークショップ ~まちの記憶を辿る『土地の記憶プロジェクト』の試み」(青山商店会連合会)
青山小学校での第1回ビオトープ・ワークショップの様子(提供:青山商店会連合会)
ビオトープづくりをはじめることになったきっかけは、3年前のこと。それ以前から緑を増やしたいという思いはあったが、その手法がわからなかったという。どうせやるならちゃんとしたことをした方がいいとアドバイスされ、紹介されたのが、『土地の記憶プロジェクト』の専門的・技術的なサポートを頼んでいる「人と自然の研究所」の野口理佐子さんだった。
“土地の記憶”というコンセプトをどうやって街に融合させようかということを考えてきたなかで、その土地に合った視点というのがビオトープだと意気投合した。「それって土地の記憶ですよね」ということで転がりはじめたという。
一昨年(2009年)の青山まつりで、青山小学校に移動式ビオトープをつくり、昨年は青山高校にビオトープを造成した。今年のまつりでは、初日に青山小学校のビオトープの観察と改修、2日目に青山中学校でのビオトープ造成が計画された。
池の底には水が抜けないように0.4mm厚の遮水シートを敷いて、土を被せている
駒澤大学2年生の、中川潤君(左)と近藤拓君(右)。インターネットをみて参加を希望したという。
青山商店会連合会の市川さんと、リコーCSR室の伏見さん(ビオトープ・ワークショップの会場にて)
青山小学校でのビオトープづくりは、もともと商店会とのつながりもあって、話を持っていくとトントン拍子に進んだ。つくったビオトープのメンテナンスも、学校の授業の一環として子どもたちが担うことになった。つくるだけでなく、つくった後の変化をみながら、その意味を肌で感じていくことにつながる。
継続的な観察は、株式会社リコーのボランティアが特に強力なサポートをしてくれた。リコーでは、社員対象に「環境ボランティア養成プログラム」を実施していて、野口さんが講師で関わっている。その縁で、『土地の記憶プロジェクト』にも関わりができた。
青山まつりで移動式ビオトープをつくった翌年の2月、小学校の砂場跡地にビオトープをつくることになり、リコー環境ボランティアの実践活動の一環として、ビオトープ造成をした。以来、毎週水曜日の早朝を観測日と定めて、同小のビオトープの定点観測を続けてきた。
9月には、ビオトープづくりの活動の意味を人に伝えるを学ぶ中級講座を開講。ちょうど10月に控えた青山まつりを意識して実施したこの講座の余勢を駆って、青山高校でのビオトープづくりをした昨年のまつりには、ボランティアリーダーのべ30人の参加があったという。
同社のCSR室の伏見聡子さんは、同社の環境ボランティアプログラムの活動史上、初めての“ビルの谷間での活動”になった同小でのビオトープづくりやその後の定点観測が、一つの転機になった手応えを持ったという。
「リコーの自然活動は森林保全からはじまっていて、ボランティアリーダーとして自主的な活動を始めた人たちも森林保全活動をしている人が多いんです。でもそれだと、都会に住んでいるとか都心の事務所に通っている社員なんかはやりにくい。働いている場所の近くで何かできないかというときにちょうどビオトープづくりをやっていることを知ったんですね。森での活動と違って、割とすぐに反応がある。造ってすぐに生き物がやってきて、おもしろかったですよ」
「見せ方とか伝え方が大事だなって、やればやるほど思いました。森に通う社員たちは、作業して、お疲れの乾杯をして帰っていくっていう感じです。もちろんお楽しみも大事なんですが、もう少しその活動を伝えていくとか違う方向に持っていきたいと思っています。都会の方がみんなのつながりが再生のキーとなるので、いろいろとやりやすいのかも知れませんね」
バリスタ風の衣装で、おしゃれに青空講義(青山まつりの会場にて)
市川さんが街の人たちに「ビオトープをつくろう」と言ったとき、「蚊がすごいわくんじゃないか」と誰もが言ったそうだ。
ところが、生態系がきちんと循環していれば、むしろ蚊はそれほどわいてこない。ちゃんと餌として食べていくトンボなどの昆虫がいれば、蚊ばかりが増えていくような環境にはならない。
「そういうことすら、都会に住んでいるとわからなくなってしまっているんですよ。そういうことも含めた気付きがすごく大きかったですね。だから、蚊がわくから水辺を埋めてしまえとかいった発想にはならなくなりました」
市川さんは、この取り組みの効果をそう話してくれた。
「逆に言うと、木が植わっているから自然があるということでもないという気付きもありました。森でも、植林されたスギの木ばかりではきちんとした森にならないということも、こういうことから学んだんですよ」
青山でのビオトープづくりの活動が、日本の里山のことも教えてくれたという。
今後は、この取り組みをより広く理解してもらうための仕掛けをしていきたいという。街の人たちに話しても、理解はしてもらえるようになった。
年配の人たちも、「おおいいじゃないか」「昔あったよ、こんな池」「昔はこの辺でもとんぼをいっぱい捕っていて、おれはカエルを捕っていたよ」とか、懐かしい感じで喜んでくれるようになった。
だから、それを小難しい理屈で語りたくはないという。ビオトープや生物多様性という言葉はまだまだ一般にはなじみが薄い。それをいかに感じよく捉えてもらえるか。
せっかく青山でやっていることなので、都会ならこその、野暮ったくなく、おしゃれに、美しいものにしたいんだ、と。
600mごとにオアシスがあれば生態系回復に寄与できる(提供:青山商店会連合会)
冒頭の疑問、「なぜ、都心のまつりでビオトープなのか」は、なるほど氷解したように感じている。
つまり、いきものの拠点となる緑地を分断する246という大きな道路が通っているここ青山だからこそ、小さなビオトープを点々とつくっていって、それらのビオトープを拠点にしていきものたちが移動できる回廊をつないでいくことが必要だということ、それによって、いずれ面として生き物が暮らせる範囲が広がっていく。それも人知れずやっていくのではなくて、「祭」という多くの人がつどってくる場で展開することを重視する。地域の人々や祭にやってきた人たちといっしょにやっていこうという手段でもあり、意思の現れでもあるのだろう。
今や人々が忘れてしまった、かつての地域の自然のありよう、でもその土地で生きてきた動植物はかつてとなんら変わることのない自然の摂理の中で生きている。だから、少し手を入れ環境を整えてやることで、わずかな日数でも思いがけず多くのいきものたちがやってくるわけだ。それこそが、土地に刻まれた“記憶”ということなのだろう。
市川さんの言葉を借りると、「ビオトープづくりとは、生き物の場所をつなげ、人と人をつなげ、地との風土や歴史と今をつなげること」だという。『土地の記憶プロジェクト』、なるほど言い得て妙な取り組みと言える。
10年後かもっと先になるのか、青山の街にかつてあった自然が少しでも回復してきて、そしてその自然とのふれあいが青山に暮らす人たちにとって新たな原風景として息づいていくことを楽しみにしたい。
2010青山まつりのビオトープ・ワークショップで参加者が描いた「青山の未来像」(提供:青山商店会連合会)
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