トップページ > 環境レポート > 第12回「協力しながら生きていく、“協生”のまちづくりをめざして ~江古田ミツバチ・プロジェクトの取り組み」(アートとエコの江古田づくり)
谷口さん行きつけの珈琲店。壁一面に並んだコーヒーカップの中から好きなものを選んで、淹れてもらう。日常的にまちの人々のアート展やコンサートとも出会えるという。
江古田ミツバチプロジェクトは、「アートとエコの江古田づくり」の一環として進めるプロジェクトの一つだという。なぜ、“アート”で“エコ”なのか、代表の谷口紀昭さんに聞いた。
「江古田には、武蔵大学の他、武蔵野音大(=武蔵野音楽大学)や日芸(=日本大学藝術学部)というアート系の大学もあります。これら地元の三大学とも協力しながら江古田らしいまちづくりをしていきたいというのがあるんですよ」
谷口さんに案内してもらって江古田のまちを歩いたとき、江古田駅前に『のだめカンタービレ』のアニメキャラクターが描かれた観光案内板が設置されているのに出くわした。練馬区観光協会が進める“アニメのまち”の取り組みの一環として、区内の19駅に設置されているものの一つだ。主人公たちが通う音大のキャンパス風景は、武蔵野音大がモデルになっているという。
かつて手塚治虫をはじめ、若かりし日の赤塚不二男や石森章太郎、藤子不二雄などの漫画家たちが起居していたことで有名なトキワ荘は、近隣の豊島区椎名町にあった。練馬区大泉には東映の撮影所もある。この周辺は、古来、芸術系の著名人が多く住んだという。
「今でも、江古田のまちにはライブハウスもあるし、地元住民のアート展を開催する喫茶店などもあります。アニメだけでない“芸術のまち”としての特性があると思っていて、それだから“アート”なんですよ」
細い路地を入っていくと量り売りの味噌屋さんなど昔ながらの商店街が残っていて、なんだか郷愁を誘う生活臭が漂うようだ。一方で、駅前の定食屋ではボリューム感たっぷりのメニューが並び、学生街らしい側面もある。大学も2つはアート系で、野暮ったさはない。いわば、進取の気性に富んだ若者の活力と、古きよき暮らしの中で育まれてきた美のセンスが融合した、独特の雰囲気──。江古田のまちには、そんな特徴があるのかも知れない。
一方、“エコ”のまちづくりは、プロジェクトのプラットフォームでもある、前述の「練馬区民環境行動連絡会」がベースになっている。
谷口さんたちの現在の活動につながる一つのきっかけとして、2002年の練馬区民環境行動方針検討会議検討委員の公募があった。同行動方針の策定は、区の長期総合計画や環境基本計画(2001~2010)に位置づけられたもので、区では策定を進めるための区民委員を広く募集したわけだ。
谷口さんは、もともとエネルギー・教育系の雑誌出版社に勤めていた。時代的には、ちょうど自動車の排ガス規制が厳しくなっていった頃で、ガソリン無鉛化の転換期にエネルギー産業や自動車メーカーに取材をすることも多く、環境についての関心は自然と高まっていった。エネルギーと公害の問題が人間社会にとって大きな問題になると感じるようになったという。引退してからは日中に家や地域にいることが多くなって、目に付いたのがゴミ置き場を荒らすカラスの存在だった。「エネルギーだ」「ガソリンだ」という前に、もっと身近に取り組むべき問題があると思うようになったのが、地域のボランティア活動を始めることになった最初のきっかけだった。
練馬区民環境行動方針検討会議の検討委員の募集があったのは、地域のボランティア活動にだいぶのめり込みはじめた頃だった。
当初20~30人ほどを想定していたという検討委員は、「自分が取り組んでみたい環境にやさしい行動」をテーマに意見を提出した94名全員が登録された。2002年12月~2004年8月までの検討期間中、全体会や各分科会やワーキングチームの会合のほか、学習会・見学会や区職員との意見交換会など、トータルで301回の会合を重ねるという活況を呈した。
練馬区民環境行動方針が2004年8月に策定されて検討会議は解散したが、行動方針に画かれた各プロジェクトを区と協働しながら推進していく後継組織として、「練馬区民環境行動連絡会」が発足した。これが、現在の活動のプラットフォームになっている。毎年開催している「若者と市民の環境会議」を主催する環境教育支援プロジェクトも、「江古田ミツバチプロジェクト」も、練馬区民環境行動連絡会が母体となって始まったプロジェクトだ。
練馬区民環境行動連絡会の立ち上げの前後、環境についてより専門的で最新の勉強をしたいと思っていた谷口さんは、練馬区の特別聴講生として1年間、武蔵大学で学べる機会を得た。一般の学生といっしょに講義を聴講できるほか、大学図書館や情報・メディア教育センター、福利厚生施設等の教育施設も利用できる。
学長とも知り合って、ちょうど構想を練っていた環境会議の企画について相談した。
「先生、こんなこと考えているんです。ついては、大学のホールを貸していただけませんか」
谷口さんの熱意が伝わって、快諾を得ることができた。
江古田でやる環境会議だから地元三大学といっしょにやりたいと、日芸や武蔵野音大にも声をかけることにした。
ちょうど、区の生涯学習講座で日芸が提供する映画の講座を受講したのをきっかけに、担当の先生と雑談の中で話す機会を得た。
「区民対象の環境会議を企画しているんですけど、その記録を撮って、環境学習のツールとして使いたいんです。学生さんたちに協力していただけないでしょうか」
先生自身は前向きだったが、学外の活動になるため一存では決められないと、庶務課を通して正式に申し入れるようにとアドバイスされた。訪ねて行くと、学部長の了解が必要だと言われる。それで、正式に「趣意書とお願い文」を書いて、了解を得た。
実は後日談もあって、学生たちだけではきちんと撮れないと、助教授が陣頭指揮をとって、カメラも5台ほど持ち込んで、撮影に臨んだ。立派なドキュメンタリーができあがったが、3時間の大作で、そのままでは長過ぎて環境学習の授業では使いづらかった。15~20分くらいで見られるようにして環境教育のツールとして使いたかったが、編集作業は結構難しくて、十分に活用できていないままお蔵入りしている。
一方、武蔵野音大には、話し合いだけの会議をリラックスして楽しめるようにと、音大生によるプチ演奏会をお願いできないか相談した。今度は、理事長の了承が必要だった。広報企画室が対外的な窓口になると言われて、ここでも理事長宛の文書を書き、無事に了解を得た。
学長(武蔵大)、学部長(日芸)、理事長(武蔵野音大)と渡り歩いてお墨付きを得た三大学とのつながりは、この時以来、今も続いている。
ミツバチプロジェクトを始めた時も、特別聴講生のときの“縁”が大いに頼りになった。
谷口さんが受講した環境講座の担当教官が、今やミツバチプロジェクトの顧問を引き受けてくれている丸橋先生だった。“ミツバチが飛び交う花と緑のまち”をめざしたまちづくりをしたい、武蔵大学でミツバチが飼えないか、と相談する。
丸橋先生には、学生たちにとっても生態系のつながりを考えるきっかけになると、賛同してもらえる。ところが、当初は「危ないんじゃないか」といぶかしむ声もあったという。
教授会の方は丸橋先生にお願いし、学園長と学長宛に依頼文を書くことにした。曰く、環境教育や地域貢献の一環として意義深い活動になるとの提案だ。
学園長の有馬朗人さんは、物理学者で東京大学総長や文部大臣、参議院議員を歴任された経歴の持ち主で、実践的な体験学習に理解があった。
「今の子たちは、実体験が足りていない。やってみればいいんじゃないですか。開かれた大学にしていかないと──」
その一言で、事は一気に進み、あとは具体的な詰めの段階に入っていった。
江古田ミツバチプロジェクトのロゴマークは、日芸のメンバーがデザインした。
千川通りの「桜と蜂」をデザインし、エコの街から「エコまっち」と命名している。
ボランティアの活動だったから、資金もなかった。掘建小屋で構わないから何とか用意してもらえないかと、丸橋先生に泣きつく。
候補に挙がった3号館屋上は、古い建物で手すりもなかった。見学者──特に子どもたち──が落ちたりすると大変だ。大学の責任問題も生じる。また、屋上は水漏れの心配があって直接アンカーを打ちこむこともできない。コンクリのベースを敷設してアンカーを埋め込み、ボルトで固定した立派な観察小屋を用意してもらえることになった。落下防止の柵も設置してもらった。
最高責任者の了解をもらえたことが大きなポイントだったと谷口さんはふりかえる。同時に、丸橋先生の全面的な協力が大きかった。いろんな場面で、理解者・協力者が次々と出てきてくれたのも、トップの了解があったからこそ、堂々と手伝ってもらえるようになったといえる。
谷口さんにとって、こうして企画を立て、アポを取って、話をしに行くという一連の作業は、現役の記者時代に散々やってきて、お手のものだ。そうしたの経験が今のボランティア活動にも生きている。
「ぼくね、何でも簡単にお願いしちゃうの、『協力して』って。いろんな方面からツテをたどっていって、無遠慮にお願いする。そうすると、不思議と協力してくれる人が現れてくる。今の活動もそうやって、いろんな人たちとつながって、できているんですよ」
江古田ミツバチプロジェクトで昨年の1年間に採れたハチミツは、総計300kgにもなった。一部は協力4店舗に卸して、ハチミツ商品の開発・販売につなげている。
当初は瓶詰めのハチミツをそのまま商品化したかったが、屋上に据え置くミツバチ園では、ハチミツの安定的な供給は困難だった。特に冬場はミツバチたちの活動も弱まって、ハチミツはほとんど採れないどころか、砂糖水を与えて栄養補給してやらないと群れが保てない。
そこで、地域会員の協力を得ながら、ハチミツを使ったスイーツの開発に乗り出すことにした。幸い、会員には地域の飲食店を経営するプロもいる。とんとん拍子に江古田産ハチミツを使った商品ができていった。
バー・アクアビットの川中紀美子さん。ハチミツが好きでプロジェクトに参加したが、今や誰よりも熱心に毎回の定例活動に参加している。手前は、江古田ミツバチプロジェクトの活動写真や新聞・雑誌等に紹介された記事などをまとめたファイル。最近は、雑誌の巻頭特集(4ページのフルカラー)にも取り上げられた。「悪いことできなくなりましたね」と苦笑する。
江古田駅南口の『バー・アクアビット』で、はちみつレモネードを出している川中紀美子さんは、ハチミツが好きでプロジェクトに参加したが、今や誰よりも熱心に毎回の定例活動に参加している。
「ハチミツが好きだったんですよ。ミツバチは──昆虫類は全般的に──苦手なんですけど…。以前から、銀座のミツバチプロジェクトのことは知っていて、自分で育ててハチミツが食べれるとおもしろいだろうなと思っていたら、江古田でもはじめると聞いて、勇んで参加したんですよ」
アクアビットはもともと夜にバーとして営業していただけだったが、はちみつレモネードを開発して、昼間も喫茶&定食の店として開けるようになった。ハチミツの甘みとレモンの酸味がほどよく融合し、さっぱりとした後味を残す。
レモネードをきっかけに店を知ってもらい、夜も来てもらえるようになればうれしいと話す川中さん。夜は、焼酎やウォッカで割ったはちみつドリンクも出している。プロジェクトが縁で新聞や雑誌などのメディアに取り上げられるようになって、これまでとは違う新しい客層も徐々に増えてきているという。
はちみつマドレーヌを販売しているカフェ『すのうべる』は、就労継続支援のための福祉施設の一角を喫茶店として開放している。練馬区観光協会が取り組む「ねりコレ(=練馬区にちなんだ商品)」のひとつとしても認定され、贈答用としての注文も入るという。縁を広げたいと、谷口さんが働きかけて、商品化が実現した。
キャラメルの代わりにハチミツを使った「江古田はちみつプリン」を発売する、江古田駅北口の『アンデルセン』は、1968年オープンの老舗洋菓子屋。ねりコレに認定されている「江古田生チーズ」など、江古田の地名にちなんだ商品をいくつも開発しているが、江古田産ハチミツを使ったこの商品でもねりコレ認定に応募したいと意欲的だ。生クリーム・プリン・ハチミツの三層構造になっていて、混ぜて食べると美味と評判だ。
パン屋『Boulangerie Django(ブーランジェリー・ジャンゴ)』では、マスカルポーネクリームにハチミツを混ぜ込んだ菓子パンを販売している。オーナー夫妻は、ミツバチプロジェクトの会員で、かつては活動にもよく参加していた。
「ちょうどこの店のオープン準備をしていた頃にミツバチプロジェクトのことを知って、店を始める前までは活動にも参加していました。今は店があるからほとんど参加できていませんが、その分、ハチミツを使ったこのパンで少しでも貢献できればと思って…。ハチミツが入っている割りに値段を抑えているのであまり利益にはならないんですけどね(笑)」
ちなみに、バー・アクアビットで出している昼メニューのサンドイッチには、ジャンゴの食パンを使っている。
「そうやって会員同士の連携も進めながら、ミツバチプロジェクトを軸にしたまちづくりを具体化していこうというわけです」
そう言って、目を細める谷口さんだった。
4店舗で商品化したはちみつスイーツの品々
バーアクアビットの「はちみつレモネード」
カフェすのうべるの「はちみつマドレーヌ」
ブーランジェリー・ジャンゴの「はちみつパン」
洋菓子店アンデルセンの「江古田はちみつプリン」
ハチミツは、見学会などでの試食でも一口ずつ味わってもらっている。見学者は、おいしい!たくさん採れた!と喜んでくれるが、そんなとき「1匹のミツバチが一生で集めてくるハチミツはどれくらいの量になると思う?」とクイズを出している。
答えは、「わずか小さじ1杯ほど」。1リットルのハチミツが採れるためには、ミツバチが100万回も花と巣の間を行き来すると言われる。そういうと、子どもたちにもハチミツの貴重さが伝わる。
「でも、ハチミツも大切だけど、野菜も魚もみんな、生命をいただいているんだよね。それも、農家さんや漁師さんが命をかけてとってきているんだよ。それを食べ残したりしていないかい? それこそもったいないことだよね。ハチミツは、ミツバチが自分たちのために集めているものを人間がいただいているから、大切に食べなきゃいけないだろう。野菜や魚も同じ。いただきますと手を合わせるのって、そうやって命をいただくことへの感謝の気持ちを込めているんだよ」
そんなふうに、目の前にミツバチが飛び交い、ハチミツが垂れてくるのを見ながら食育の話にもつなげていくと、効果は絶大だ。体験を通して学ぶことの大事さを実感しているという。
江古田ミツバチプロジェクトのメンバーたち(武蔵大学屋上のミツバチ園にて)
ハチミツは人気だが、ミツバチは怖いという子も少なくはない。気持ち悪いと嫌う子もいる。
「え、どうして? かわいいじゃない! 手の甲でさわってごらんよ、刺さないから」
しぶしぶながら手の甲をミツバチがいっぱいいる巣板に乗せる子たち。不思議な感触にびっくりする姿がおもしろい。
ミツバチの体温は34℃くらいある。動き回るときに、ミツバチの翅やうぶ毛の触感が手に伝わってくる。“カシミヤのマフラーの感触”とも“赤ん坊の柔肌のよう”とも言われるその肌触りは、えも言えず気持ちよい。ミツバチ・ファンへの入口につながる。
大げさに環境問題を論じるよりも、ミツバチを身近に感じ、ハチミツをなめながら、ミツバチたちの現実を知り、生き物たちや自然に感謝をする気持ちが芽生えていって、結果として環境のことを感じられるようになる──。
そんな精神がまち中に広がっていくことを願いながら、江古田ミツバチプロジェクトは活動を続けている。
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