トップページ > 環境レポート > 第13回「かつて見られたヤマユリ咲き誇る里の風景の回復をめざして ~苦節7年で花開きつつある『八王子やまゆり咲かせ隊』の取り組み」(八王子やまゆり咲かせ隊)
2012.07.17
八王子市上川町の「上川やまゆりの里」で、ツボミが今まさに開かんとするヤマユリの株(2012.7.8撮影)
八王子の外れ、あきる野市との境近くに大仙寺(だいせんじ)という山寺がある。浅川の支流筋に当たる川口川沿いに秋川街道をひた走り、途中で南側の裏道に入ってほどなく細い路地を抜けてしばらく走ったところに位置する、今は無住の古寺だ。
7月も半ばになると、この大仙寺の古く重厚な木製の山門周辺の斜面に、ヤマユリが咲きはじめる。20日前後を最盛期に、花期は8月頃まで続くという。向かいの道の脇には、『ようこそ やまゆりの里、上川へ』と刻まれた木の支柱がひっそりと立つ。ここは、「八王子やまゆり咲かせ隊」が7年の歳月をかけて復活させてきた「上川やまゆりの里」だ。
ヤマユリ(学名:Lilium auratum)は、ユリ科ユリ属の球根植物。日本の山野に自生するユリの中でも最大級で、草丈は1~1.5mほど、花の大きさは15~20cmにもなる。漏斗状に大きく開いた花弁──いわゆる花びら──の内側には、中央に黄色の筋が通り、赤褐色の斑点が散りばめられている。花の中心には深紅が色鮮やかなオシベが6本とメシベが1本ある。
日本を代表するユリとして1873年のウィーン万博に出品されたのがきっかけで、大きく華やかな花と強い芳香でヨーロッパ中の注目を集め、大正時代までは日本の主要な輸出品の一つになっていたという。
園芸種のカサブランカは、このヤマユリをベースに人工的に作出された品種だ。オリエンタルリリー(東洋のユリ)の一種として、結婚式のブーケや贈り物の花束などに喜ばれ、今は逆輸入されている。
そのヤマユリを自宅のプランターで育てられる──そんな園芸趣味の人には垂涎の活動が八王子にあるという。野生のヤマユリが姿を消しつつある中で、育てたヤマユリを里山に植え戻して、かつて見られたヤマユリの咲き誇った里の風景を回復しようという活動の一環だ。
八王子市の職員を中心に構成するボランティア団体「八王子やまゆり咲かせ隊」の事務局長を務める田口秀夫さんに話を聞いた。
ヤマユリの花
話を伺った、「八王子やまゆり咲かせ隊」の事務局長・田口秀夫さん。
美しく咲くヤマユリの花。1つ目の花が咲くまでに、5年かけて球根を肥え太らせている。その後、1年に1つずつ花を増やし、古い株ほどたくさんの花をつける。
野生のヤマユリは、主に山地の森林縁や草地に自生する。水はけのよい斜面地を好み、近畿地方以北──特に関東周辺──で、かつては至るところで見られたというが、近年はその姿を見る機会もぐんと減っている。京都府では絶滅したとされ、石川県と三重県で絶滅危惧I類に指定されている。山梨県や長野県でも、準絶滅危惧種に指定されている。八王子市でも、近年はなかなか観ることができなくなっている。
原因は、里山の利用がされなくなって森や草地が荒廃していること、イノシシやサルがユリ根(球根)を掘り起こして食い荒らしていること、それに心ない人による盗掘などが指摘されている。
実は、八王子市の「市の花」はヤマユリだ。1976年の市制60周年記念事業で、市民の投票によって選ばれた。以来、「やまゆりの館」という名前の施設ができたり、公園に「やまゆりの小径」という散策路が整備されたり、市の刊行物にヤマユリの写真が使われていたりと、八王子市民にとっては馴染みが深い。木造平屋建ての駅舎が特徴的なJR高尾駅北口の公衆トイレには「山ゆり庵」という看板が掛かっている。
最近は野に咲くヤマユリを目にする機会はあまりないが、かつて昭和40年代までは市内の里山のあちらこちらでヤマユリが咲いていた。7月のお盆の時期には花屋が切り花として採取していったという。いろんなところにたくさん自生していたから、当時はそれをとがめる人もいなかったようだ。
ヤマユリをシンボルフラワーにしている自治体は、関東周辺を中心に多数ある。例えば、神奈川県では「県の花」になっているし、山梨県大月市や道志村、千葉県袖ヶ浦市、茨城県行方市、真壁町(現在は桜川市)、栃木県益子町、群馬県中之条町、長野県御代田町、福島県月舘町(現在は伊達市)などが「市の花」「町の花」などに指定している。それだけ身近な里山の花として親しまれてきたといえる。
「八王子やまゆり咲かせ隊」のメンバーたち。隊の結成は2005年のことだった。
八王子で、市役所の職員によるボランティア活動として「八王子やまゆり咲かせ隊」が結成されたのは、2005年のことだった。ちょうどその5年ほど前から市役所周辺の清掃活動や、花いっぱい運動として市役所周辺でヒマワリやコスモスを植えていたが、どうせなら市の花・ヤマユリを育てて、かつて見られたようなヤマユリ咲き乱れる里の風景を復活させたいという思いだ。現在の隊員数は20人。50代が多く、年々歳を重ねていくから、若手の参加を切望しているという。
ヤマユリを育てようといっても、いきなり素人ができるわけはない。育て方を調べるため、書籍などを探したが、専門書などはなかった。人づてにヤマユリの研究者がいると聞いて、訪ねていくと、種をまいてから花が咲くまでに5年もかかると言われる。
試行錯誤をしながらも、その秋に種を採取して、実生(みしょう)を育てることから活動はスタートした。
ヤマユリの増殖方法について、田口さんたちが教えを請うたのは、山梨県大月市でヤマユリの研究をしている小俣虎雄さん(大月市花木振興研究会顧問)。2度ほど通って、育て方や土と肥料のことなど初歩から実用までさまざまなことを教えてもらった後、3度目に訪ねていったときに種を分けてもらい、実際に育ててみた。その後も継続的に栽培方法について指導してもらっている。
ヤマユリは、種を播いてから花が咲くまでに、5年もの月日がかかるという特性がある。夏に開いた花が受粉して、秋までに実が成熟して種ができる。この種が地上に落ちるのはだいたい11月頃のこと。でもその種は、冬を越した翌春にはまだ芽が出ないというのだ。
秋に落ちた種は、実は休眠状態にあって、すぐには発芽できないという。発芽の条件は、温度だ。
種のまま冬を越えたヤマユリの種は、夏の暑さを過ごすことで休眠状態が打破され、発芽できるようになる。このような発芽の仕方を、専門用語では「遅発芽(ちはつが)」という。さらに、発芽してすぐに地上に葉っぱを出す「地上発芽(ちじょうはつが)」と呼ばれるタイプに対して、発芽してまずは地下で小さな球根をつくり、2度目の冬を球根のまま過ごしたあと、春の暖気に誘われて芽生えるタイプを「地下発芽(ちかはつが)」というそうだ。
ヤマユリはこれらの組み合わせで、「地下遅発芽(ちかちはつが)」と呼ばれる発芽様式をとる。種が落ちてから、実に1年半を経ないと芽が出ないわけだ。
茶色く熟したヤマユリの朔果(さくか)。いわゆる実のことだ。
直径約20mm、長さ60~70mmほどの中に、3層合計400粒ほどの種ができている。
小俣さんは、このヤマユリの発芽を促進する人工増殖法を開発していた。成熟した種を土といっしょにビニールに入れて、指定の温度を保つインキュベーターと呼ばれる機械の中で、温度条件を変化させることで擬似的に四季を体験させて、発芽までの時間を短縮する方法を取っている。なお、土に混ぜ込む前に、種の表面に付着した雑菌を消毒するため、30分ほど薬剤に漬け込んでいる。
温度の設定条件は、以下の通りだ。
プランターで育てるヤマユリの実生。
2年目にはまだほんの小さな葉が、3年目になるとだいぶ大きくなって、5年目にようやく花を咲かせるようになる。
年々大きく育っていくヤマユリの球根。3年目にはプランターから大きめの鉢などに移植している。
ただ、芽を出してからも、花を咲かせるまでの道のりは、まだ遠い。芽が出て1年目~2年目にかけては、葉が1枚しか出ない。か弱いこの芽を、プランターで細心の注意を払って育ててやる。水分状態や直射日光、気温や地温の状態などに気を配って、いわば雑木林の中の涼しく、穏やかな木漏れ日の中に包まれるような条件を保ちながらうまく育ててやらないと、枯れたり病気になったりする。
この小さな葉は、プランターでうまく育てれば、毎年秋頃まで枯れずに残る。その間、小さい葉で一生懸命に光合成をして、地下の球根に栄養を貯えて、少しずつ大きくなっていく。翌春には、一回り大きく成長した球根から前の年より少し大きめの芽を出す。2年間育てると、地下の球根は親指の爪ほどの大きさになる。秋に掘り出して、大きめの鉢や地面に移植して、さらに丹精込めて育てると、ようやく5年目に花を咲かせるわけだ。
毎年、新しい発芽種子100粒を植えていき、1段階ずつ大きくなっていく100株1セットずつをローテーションさせていくことで、毎年花をつけるヤマユリを増やしていくことができるようになった。
「時間と手間はかかりますが、お金は(ほとんど)かかりません。ほんの小さな芽ですが、育てていると愛着も湧いてきて、毎日眺めては世話をしています。もう、本当に可愛くって…」
と、田口さん。その楽しみをより多くの人たちに味わってもらいたいと笑顔を見せる。
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