トップページ > 環境レポート > 第80回「柿の実を採って獣害対策にするとともに、山と里の関係について考える(山のふるさと村の干し柿づくり体験)」
2017.01.16
ここ、山のふるさと村は、東京都の公園であると同時に、秩父多摩甲斐国立公園の一角にも含まれる。施設のある周辺だけでなく、まわりの山も含めて面積約32ヘクタールの広大な敷地だ。すべて歩こうとすると4時間ほどの総延長になる複数の自然散策路(ネイチャートレイル)も整備されている。施設の脇を流れるサイグチ沢は、奥多摩湖にそそぎ込んだあと多摩川になり、やがて東京湾へと流れ込む。その川の始まりのような場所にある自然公園だ。
東京都に位置する公園だが、よい意味で、“東京”のイメージにはそぐわないくらいさまざまな哺乳類が生息している。
種数でいうと全30種ほど生息していて、よく知られている哺乳類としてあがってくるような種はほとんどいる。例えば、大型動物では、ツキノワグマ、カモシカ、シカ、イノシシ、サルの5種類が全部そろっている地域は、日本中を探してもそれほど多いわけではない。九州ではツキノワグマが絶滅しているし、ニホンザルの北限は青森県の下北半島で、北海道にはいない。本州でも雪深い地域にはイノシシが生息していない。
小型の哺乳類では、天然記念物のヤマネも生息している。ネズミとよく似ているが、尻尾にもフサフサ毛が生えているのが特徴。冬にケビンサイトに泊まると、靴箱の中で冬眠しているのに遭遇することもあるという。
そんな数多くの哺乳類が生息しているこの地に、かつて生息していた、もう一つの哺乳類があるという。クラフトセンターの向かいに建つビジターセンターのインタープリター、菅原遊(すがわらゆう)さんが、そんな謎かけをするように話をする。
「実は、かつて奥多摩湖ができる前には、ここにも人が住んでいました。100年前には、家が何軒も並んでいたのです。1957年に奥多摩湖ができたことで他の地域に移り住んだのですが、今でも当時の面影が園内のいたるところに残されています」
園内の道沿いにはところどころで石碑が見られるし、キャンプ場の奥には加茂神社という神社がまつられている。かつてはお蚕を生業にしていたこともあって、園内のいろいろなところに桑の木が生えている。当時の木かその末裔が生長したものだ。
「奥多摩にもっとも多くやってくる動物が映ってます」(山のふるさと村のトイレにて)。
鮮やかなオレンジ色の実をつけた柿の木も、園内に多数生えている。日当たりのよい場所を好み、施設周辺を中心に公園内の道沿いに分布している。人が植えた木の他、落ちた実や種を鳥や動物が運んで芽生えたものも混在している。
「食用柿──いわゆる渋柿と呼ばれるもの──は結構あるんですけど、柿渋を採るためのマメガキは私の知っている限り1本か2本だけ、人家周辺に生えているような状況です。柿渋を紙などに塗ると丈夫になって防水性も出るので、生活用品に重宝しました。一方、食用柿は、堅い実はそのままでは渋くて食べられません。木の根元の地面を見ると、サルが食べた後の柿の実がいっぱい落ちています。おいしいところだけかじって、ポイっと捨てるのを繰り返しています。何頭も木に登って、人が来てもお構いなしにがぶがぶ食べています。人が食べたような歯形が残っているので、見ればすぐわかりますよ」
たわわに実る渋柿の実。根元には、熟した先だけかじって投げ捨てられた実がたくさん転がっている。
そんな奥多摩の自然を取り巻く野生動物たちの問題について知ってもらうことも、このイベントの大事な目的の一つだ。
「柿もぎは、まさに獣害対策の側面が強いと思うんですよ。このあたりだと周辺に、もうすぐそこにツキノワグマが生息していますし、ニホンザルも非常に多くなっています。園内だけで見ても、サルによる害もかなり出ていますから、柿をある程度人為的に間引きすることで、対応していくわけです。また都立公園としては、クマに関して言うと、園内の柿を食べにくる可能性を排除することにもなります。人が集まるようなところにエサがあるという認識を持ってしまうと、いずれ事故につながってしまいますから、クマにとってもその方がいいんじゃないかと考えています」
動物たちが里に下りてこないようにするために里の柿を採ると、動物たちの食料をどう考えるかというジレンマもある。ただ、ビジターセンターとしてのスタンスは、そうした問題があるということの普及啓発を最優先していると菅原さんはいう。
イベントに参加して純粋に楽しんでもらうのも大事だが、それとともに、山と里の関係について少しでも考えてもらうきっかけになってほしいという。
人にとってもかつて冬は食料が少なく、厳しい時期だった。毎年冬が来る前に干し柿を作ることが冬の間の保存食としても大事で、そんな文化の伝承としてもこのイベントは位置づけられる。
「ここは、まわりを見ると豊かな自然が広がっていますから、そんな自然景観に目が行きがちですが、同時に、かつてここに住んでいた方々が紡いできた歴史、そして今なお残るその当時の方々が作り上げてきた文化を同時に見ることのできる場所になっています。ぜひ、せっかくいらしていただいたので、そんな歴史文化も含めてここの環境を見ていただけると、より有意義な時間が過ごせるのではないかなと思います」
今回の干し柿づくり体験はクラフトセンター主催のイベントだが、これに合わせて、ビジターセンターでも柿の話を聞きにきませんかと案内を表示。
園内で見られる豆柿(左)と食用柿(右)。どちらも渋柿だが、柿渋を採るための豆柿と干し柿を作って食べる食用柿では用途が違う。
山のふるさと村ビジターセンターのレンジャー、菅原遊さん(ビジターセンター前にて)。
イベント開催に向けて、毎年干し柿用の渋柿を2500個ほど用意している。多い年には、2日間で200組ほどの参加はあり、1人10個ずつ渡すから、最大250組分だ。しかも、そのうちの100個ほどはつぶれて熟んだり、ヘタが取れてしまったりして、使えなくなってしまう。
今回は、数日前に大雪は降った影響もあって、2日間で100組強の参加だったという。生ものの柿なので、あまったから翌週に改めて実施するというわけにもいかない。
干し柿用の柿を採る柿の木には、幹の下の方にトタン板を巻いて、サルが登れないようにしている。
「だからこの木は柿の実が残っているんです。何もしていなかったらもう1つもないですよ、とっくに。サルにみんな捕られています」
柿の木の隣に、以前は桜の木が立っていた。4~5メートルほど離れているが、サルが桜の木から飛び移って、柿の実を捕るため、切ってしまった。それくらいしないと全部食べ尽くされてしまうようになったという。
一方、レストラン前の木は、まだ渋味が強いため、残っているのだという。木の根元には、一口かじって捨てられている柿の実が転がっている。先っぽのちょっと熟んで甘くなったところを1口・2口だけ食べて、渋くなると捨ててしまう。
渋みが抜けると途端に猿に食べつくされてしまう。干し柿づくり体験のイベントが終われば柿を採ることもないため、サルに開放してやることになるという。
干し柿用の柿を採るために残している木。サルの食害から守るため、木の幹にトタン板を巻いている。
「以前、クマが降りてきて、柿を食べたことがあった。クマは、木の上に登って、腕くらいの太さの枝でも、バキンバキンと寄せて、実をもいでいくんです。丸ごと呑み込んでしまうので、渋くてもお構いなし。冬眠前に食い溜めするんですね」
20年ほど前、ここからさらに奥の峰谷集落にある清水さんの実家で、猟師のとったクマが庭先に木に縛り付けてあったという。近くにタライがあって、中にはトンカチで叩き割ったような柿がいくつも入っていた。
「これなんだ?と聞いたら、今このクマの胃袋に入っていたものだと言う。要するに、ろくに噛まないんですよ、クマは。一度、口でグシャっと叩き割ったくらいで呑んでしまう。だから渋いも甘いも関係ない。柿を食べたその日くらいに撃たれたクマだったのですが、割れただけで枝やヘタもついたままの柿ばかりでした」
一方、サルはかじりついた柿をモグモグと咀嚼して飲み込むため、渋い柿は食べずに捨ててしまうのだという。
自宅に帰ってさっそく干した、柿の実。
「サルの被害がひどくなっているというと、サルに捕られる前に採っておけばいいじゃないと言われるんだけど、あまり早くに採っておくと熟んできてしまう」
柿の実は、地面から見上げて枝の間から3つ・4つまとめて枝ごと折って採る。葉っぱが茂っていると枝の出処が見えないため、冬になって葉っぱが落ちてから採る。だから、干し柿づくり体験のイベントは毎年11月になってからの開催になるわけだ。
山と里の関係、人と獣の関係について改めて知る機会として、それとともに何よりもおいしい干し柿を自分の手で作ってみる体験として、ぜひ参加してみてはいかがだろうか。
3週間ほど干して、水分が抜けてしぼんできた柿の実。おいしそうな色つやになってきた。
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