トップページ > 環境レポート > 第93回「『練馬大根引っこ抜き競技大会』を通して練馬大根に親しみながら練馬の農を学び、地場農産物への愛着を育てたい(練馬区、JA東京あおば)」
2018.01.30
練馬大根。葉の下が白いので「白首」といい、中程が太く紡錘型になるタイプ。長さ1メートルを超えることもあり、たくあん漬けに多く用いられた。(提供:練馬区)
練馬大根の由来については諸説あるが、一説に元禄時代(1688~1704)に上練馬村・下練馬村(現在の練馬区の一部)の富士大山街道沿いで誕生したといわれている。江戸時代、現在の板橋区や練馬区から世田谷区にいたる武蔵野台地一帯は「西山」と呼ばれ、江戸市中へ供給する野菜などの一大産地となっていた。
武蔵野台地の表土は「黒ボク土」とも呼ばれる火山灰と腐植からなる土で、有機質に富み、通気性・保水性がよく、大根や牛蒡、にんじんなどの根菜類の栽培に適している。大根はこの黒ボク土とマッチして良質なものができるのだという。
練馬大根は肉質がしまり、水分が少ないので乾きやすく漬け物用の干し大根に適している。
江戸時代からたくあん漬け用として盛んに生産されたが、日清戦争以降、たくあんが軍隊の食料として使われるようになるとますます生産が増えた。
しかし、昭和8年の大干ばつやモザイク病という野菜の病気の発生により打撃を受け、第二次世界大戦後は、たくあん漬けの需要の減少、食事の洋風化や農地の宅地化などの影響によって練馬大根の生産は激減、昭和30年代後半には幻の大根になってしまったのだという。
今、全国各地で伝統野菜による地域おこしがはかられている。JA東京中央会でも平成23(2011)年に練馬大根、小松菜など34品目(現在は45品目)の野菜を「江戸東京野菜」として選定し、その普及による地域振興をめざしている。
練馬大根のように古くからつくられてきた野菜の地方品種が姿を消してしまうもう1つの理由として、タネ採りをする農家がいなくなってしまうことが挙げられる。
野菜のタネ採りは、それぞれの品目ごとに知識と経験が必要になる。大根の場合は、いったん収穫した大根の中から品質や形のよいものを選んでふたたび土に植えなおし、越冬させて春(3~5月)に花を咲かせる。そこからタネが熟す7月まで畑で大事に育てなければならない。時間と手間のかかる作業だ。そのため、かつては野菜のタネを自給する農家が多かったのだが、今ではほとんどの農家が種苗会社のタネを購入するようになっている。
練馬大根にとって幸運だったのは、区内に長年タネ採りを繰り返し、そのタネを保存していた1軒の篤農家がいたことだろう。現在はその農家から受け継いだタネをもとにタネを採っているという。
競技大会の会場となった農園園主の井口さんは、
「練馬区では今、自家用に少しつくっている農家も含めると30軒くらいで栽培しています。種苗会社で改良したタネもありますが、今回この畑で使ったタネは昔から農家がタネ採りをしてきたものです。いわゆる在来種なので、生育の揃いが悪い、太さや大きさが揃っていない、病気に弱い個体と強い個体があるなどで栽培はむずかしくなります」と説明してくださった。
練馬区は、練馬大根の復活をめざして平成元(1989)年から育成事業を開始、区内の生産者に栽培を委託するとともに、区民自らが育てて愛着を持ってもらうことを目的に平成11年からはタネを無料で配布している。
競技会場で、たまたま区民農園で練馬大根を育てているという女性に出会い、感想を聞く。
「普通の大根よりも長いので土を深く耕さなければならず、たいへんです」
練馬大根は長さ約80センチ、長いものでは100センチを超えることもある。畝は深さ60センチくらいまで耕さなければならないという。
変わった形の大根たち。ダンスをしているようなおもしろい形の大根もあり、見ている来場者たちもいろいろに喩えを持ちだして会話が弾む。
記録の部「おもしろい形の大根」で優勝した大根。途中で直角に曲がっているのが、なんともユニーク。「真っ直ぐ伸びた太い大根を作りたいという生産者の思いを裏切る大根」との評価だった。
記録の部の「農園主が選んだお気に入りの大根」(左)と、最も重い大根(右)。同じ畑で同じように育てても形や大きさにばらつきが出るのは、在来種ならではの性質。
練馬大根復活の舞台となる農地は練馬区という都市の真ん中にある。都市の中で農業を営むのは意外に苦しい。抗いがたい宅地化の圧力が迫ってくるのだ。
都市の中の農地は、昭和43年に制定された都市計画法に基づく「市街化区域」の導入によって、「宅地化されるべきもの」と捉えられてきた。昭和47年からは、市街化区域内の農地には宅地並みの固定資産税が課され、積極的な宅地への転用が促されたのだ。平成4年には地価の高騰を受けて改正生産緑地法が施行され、保全する農地を指定する生産緑地制度が導入された。市街化区域内の都市農地を、農地として保全する「生産緑地」と宅地などに転用される農地に分けて、生産緑地に指定されると固定資産税は農地並みに軽減され、相続税も納税猶予が受けられる。ただし、30年間の営農継続が求められ、建築物の造成などは制限された。いわば、農地保全や農業継続の判断を農家個人に委ねる制度として運用されてきた。
転機は、平成27年4月に都市農業振興基本法が制定されたことにある。都市の農地は「宅地化されるべきもの」から「農地としてあるべきもの」へと方針が大きく転換したのだ。
国土交通省は「都市農業振興基本計画」の中で、「環境共生型の都市を形成する上で農地を重要な役割を果たすものとして捉えることが必要となる」【1】と位置づけている。
都市の中の農地には、さまざまな役割が期待されているが、その1つに災害時の一時的な緊急避難場所となることがある。実際に平成23(2011)年3月11日に起こった東日本大震災の際、震度5を記録した三鷹市では、自宅から避難して畑の中で地震が収まるのを待つ人々の姿が見られたという【2】。
震災ばかりではない。火災の際にも緊急避難地となる緑地が必要である。明暦の大火(1657)以後、たびたび大火を経験した江戸時代には延焼を食い止めるための火除け地が設けられていたことはよく知られている。都市の防災の視点からも、農地のようなオープンスペースが重要な役割を果たすことが期待されているのだ。
もちろん、都市住民に新鮮な野菜を提供することや、緑の景観をもたらすこと、子どもたちに農業体験の場を提供することなど多様な役目もある。
さまざまな役割が期待される都市農業は、今後ますます重要性を増すことだろう。
練馬区では平成31(2019)年に世界都市農業サミットを開催するという。都市型農業は収益性が高く、生産者には魅力的だ。一方、消費者には顔の見える身近な場所でつくられていることから信頼や安心感が生まれるという長所がある。
練馬大根の平成29年植えつけ本数は14,200本、このうちの約4,800本を競技大会で引き抜いた。そのうち約4,300本は、区内の小中学校(99校)で翌日と翌々日の学校給食として練馬スパゲティや麻婆大根に調理され、提供されたという。子どもたちの食育にも役立っているのだ。
競技大会では子どもも大人も楽しそうに大根を抜いている姿が印象的だった。地域の婦人会の皆さんが提供していた練馬大根を使った「スズシロ汁」も好評だった。スズシロ汁を食べている人に聞くと、異口同音に「おいしい」という応えが返ってくる。おいしいものが人を幸せにしてくれる。うれしそうなたくさんの笑顔が心に残る。
伝統野菜の1つ「練馬大根」の収穫を楽しむことから都市農業の魅力を発信したいという主催者の思いは、楽しかった記憶とともに参加者の胸に深く刻まれたことだろう。
当日提供されていた「スズシロ汁」。大根やにんじん、里芋などの根菜がたっぷり入ったみそ仕立てのスープに、大根おろしと湯がいた大根の葉を混ぜたトッピングが添えられていて、栄養満点。
都市の中に広がる農地には、緑地空間を提供するほかに、住宅地の火災に備える火除け地など、多様な役割が期待される。
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